※本稿は2026年3月時点の法令・制度に基づく一般的な情報提供であり、個別の法的助言を構成するものではない。具体的な対応にあたっては専門家への相談を推奨する。
はじめに
ベトナムに進出する日系企業が最初に直面する切実な問題の一つが、「誰に頼めばいいのか分からない」ということだ。
日本であれば、顧問税理士や顧問弁護士との付き合いは長年にわたり、信頼関係がすでに構築されている。しかしベトナムでは、会計事務所も法律事務所もゼロから選ばなければならない。しかも、事務所間の品質差は日本と比較にならないほど大きい。「日本語ができます」という看板だけで選んだ事務所が、実は専門性に乏しく、税務調査で適切な対応ができなかった――こうした失敗談は枚挙にいとまがない。
本稿では、ベトナムで会計事務所・税務顧問・法律事務所を選定する際の具体的なチェックリストと、選定後の関係管理のポイントを解説する。
第1章 ベトナムの専門家市場を理解する
会計・税務の世界
ベトナムの会計・税務市場は、大きく4つの層に分かれる。
第1層:Big 4(Deloitte、PwC、EY、KPMG) 最高品質で国際基準に準拠したサービスを提供する。日本語対応のデスクを持つところもある。ただし、中小規模のクライアントに対しては、大企業ほど手厚い対応が得られない場合がある。月額費用は3,000〜10,000 USD以上。
第2層:中堅国際系(Grant Thornton、BDO、Mazars、RSM等) Big 4に次ぐ品質で、費用対効果が高い。日系企業への対応実績を持つところも多い。月額1,500〜5,000 USD程度。
第3層:日系事務所(AGS、I-GLOCAL、NAC等) 日本語での完全対応が最大の強みで、日本の商慣習を理解している。中小規模の日系企業に手厚い対応を提供する。月額1,000〜3,000 USD程度。
第4層:ベトナムローカル事務所 コストは最も安い(月額500〜1,500 USD程度)が、品質のばらつきが大きく、日本語対応は限定的。
法務の世界
法律事務所も同様の層構造だが、注意すべき違いがある。
国際法律事務所(Baker McKenzie等)は、時間単価が300〜800 USDと高額だが、大型のM&Aやクロスボーダー紛争には不可欠。日系法律事務所(TMI総合法律事務所、西村あさひ等のベトナムオフィス)は、日本法とベトナム法の双方に精通しており、進出支援に豊富な実績を持つ。時間単価は200〜500 USD。
ベトナム系有力事務所(VILAF、LNT & Partners、YKVN等)は、ベトナム法の専門性が高く、許認可手続きに強い。時間単価は100〜300 USDで、コストパフォーマンスに優れる。
日本との決定的な違い
日本では税理士・弁護士の品質は資格制度によって一定水準が保証されている。しかし、ベトナムでは同じ事務所の中でも担当者によって品質が大きく異なる。事務所の看板ではなく、実際に担当する人物の能力と経験を見極めることが重要だ。
第2章 会計事務所の選び方 ── 8つの必須チェックポイント
会計事務所を選ぶ際に必ず確認すべき項目を、優先度の高い順に列挙する。
チェック1:外資系製造業の実績があるか
製造業は商社やサービス業とは税務上の論点が異なる。固定資産の減価償却、関税・通関、在庫管理、CIT優遇措置の適用など、製造業特有の経験を持つ事務所を選ぶべきだ。
聞くべき質問:「外資100%の製造業で、直近3年間に担当した税務監査案件は何件ですか?」
チェック2:移転価格文書の作成能力があるか
移転価格はベトナム税務当局の最重要調査項目であり、外資企業にとって最大の税務リスクだ。移転価格文書の作成を専門チームで行えるか、または信頼できる提携先があるかを確認する。
聞くべき質問:「移転価格文書(Local File、Master File)の作成チームは何名体制ですか?年間の作成件数は?」
チェック3:税務調査の対応実績があるか
税務調査への立会い・交渉の経験は、事務所の価値を測る最も重要な指標の一つだ。税務調査の場で当局と専門的な議論ができるかどうかで、追徴額が大きく変わる。
チェック4:日本語対応の実態を確認する
「日本語対応可能」と謳う事務所は多いが、専門的な税務・会計の内容を日本語で正確に説明できるスタッフがどの程度いるかは、実際に面談して確認するしかない。
チェック5:CIT優遇措置の経験があるか
外資系製造業はCIT優遇措置(免税期間、優遇税率)の適用を受けられるケースが多い。これらの優遇措置の申請・管理は複雑であり、経験の有無が直接的に節税額に影響する。
チェック6:電子インボイスのサポートが可能か
ベトナムでは電子インボイス(e-Invoice)が義務化されており、インボイスの形式不備はVAT仕入税額控除の否認に直結する。日常的なインボイス管理のサポートが得られるかを確認する。
チェック7:月次レビューの範囲を確認する
月次の帳簿レビューがどこまでの範囲をカバーするかは事務所によって大きく異なる。仕訳のチェックだけなのか、インボイスの形式チェック、損金算入の適格性チェックまで含むのかを明確にする。
チェック8:給与計算・社会保険手続きもカバーできるか
ワンストップで税務・会計・給与・社会保険をカバーできる事務所は、情報の一元管理と効率化の面で有利。ただし、これらのサービスの追加費用も確認すること。
第3章 法律事務所の選び方 ── 7つの必須チェックポイント
チェック1:外資企業の進出支援実績
投資登録証明書(IRC)や企業登録証明書(ERC)の取得手続きは、ベトナム特有のプロセスであり、経験の有無が処理期間と成功率に直結する。
聞くべき質問:「外資100%のLLCのIRC取得を、直近2年間で何件手がけましたか?平均的な所要期間は?」
チェック2:Work Permit手続きの実績
Work Permit(労働許可証)の手続きは書類の準備が煩雑で、不許可になるケースもある。不許可時の対応経験も含めて確認する。
チェック3:労働法への精通
就業規則のドラフト、DOLISA登録、労働紛争への対応など、労働法の実務経験は外資系製造業にとって極めて重要だ。
チェック4:日本語対応の実態
会計事務所と同様、面談で直接確認する。法律用語を日本語で正確に説明できるかどうかは、実際に話してみないと分からない。
チェック5:ベトナムの弁護士資格の有無
ベトナムの法律助言を行うためにはベトナムの弁護士資格が必要。外国法律事務所のベトナムオフィスの場合、ベトナム資格を持つ弁護士が在籍しているか確認する。
チェック6:レスポンスタイムの確認
行政処分の通知を受けた場合や、税務調査の立入予告を受けた場合、数日以内の対応が求められることがある。緊急時のレスポンスタイムについて、事前に合意しておくことが望ましい。
チェック7:費用体系の透明性
時間単価制、固定月額(リテイナー)制、案件ベースの固定費用制など、事務所によって費用体系は異なる。追加費用が発生する条件を契約前に明確にしておく。
第4章 レッドフラグ ── こんな事務所には要注意
以下のような兆候が見られる事務所は、選定を避けることを強く推奨する。
会計事務所のレッドフラグ
- 「税務調査で必ず追徴を減額できます」と約束する:税務調査の結果は法的判断に基づくものであり、100%の保証はありえない
- 移転価格文書を「テンプレートで十分」と軽視する:ベトナム税務当局は移転価格文書の品質を厳しくチェックしている
- 担当者が頻繁に交代する:引き継ぎ不足による品質低下、クライアントの事情を知らない担当者への再説明コスト
- 税務当局との「特別な関係」を売りにする:これは汚職のリスクシグナルである
法律事務所のレッドフラグ
- 許認可の取得を「確実に保証」する:行政判断に100%の保証を約束できる者はいない
- 費用見積もりが極端に安い:後から追加費用を請求されるか、品質が著しく低い可能性
- 「当局に顔が利く」ことが最大のセールスポイント:専門性ではなくコネクションに依存する事務所は長期的に信頼できない
- 利益相反の管理が不明確:競合企業をクライアントに持っている可能性
第5章 推奨する「二層構造」アプローチ
中小規模の日系企業にとって最もコストパフォーマンスが高い専門家の活用方法は、「二層構造」である。
第1層:日常業務のパートナー
日系会計事務所に月次の帳簿レビュー、税務申告代行、給与計算、社会保険手続きを一括で委託する。日本語で日常的にコミュニケーションが取れることが最大のメリット。
日系または有力ベトナム系法律事務所にリテイナー契約を結び、日常的な法律相談、Work Permit手続き、契約書レビューを依頼する。
第2層:専門案件のスペシャリスト
Big 4の移転価格チームに移転価格文書の作成を依頼する。移転価格は高度な専門性が求められるため、日常業務の会計事務所とは別に専門チームを起用することが望ましい。
大型の紛争案件やM&Aが発生した場合は、国際法律事務所を起用する。
費用の目安
日常業務のパートナー(会計事務所 + 法律事務所)で年間30,000〜60,000 USD、専門案件の費用を含めて年間50,000〜120,000 USDが初年度の目安となる。
第6章 日本との違い ── 選び方のポイントが異なる
「看板」より「担当者」
日本では事務所の規模やブランドである程度品質が推測できるが、ベトナムでは同じBig 4でも担当者によって品質が大きく異なる。面談時に実際の担当者と話し、その人物の専門性と経験を直接評価することが重要だ。
レファレンスチェックが必須
日本ではあまり一般的ではないが、ベトナムでは既存クライアントからのレファレンスチェックが選定プロセスの中で最も信頼できる情報源だ。候補事務所に「同業種のクライアントで、連絡を取れる方を紹介してもらえますか」と依頼することを推奨する。
ワンストップの範囲
日本では税理士、社労士、弁護士の業務範囲が明確に分かれているが、ベトナムでは会計事務所が税務・給与・社会保険をワンストップで提供するのが一般的だ。この違いを理解し、サービス範囲を確認すること。
費用交渉の文化
日本では専門家の報酬を値切ることは一般的ではないが、ベトナムでは見積もりの段階で交渉することは珍しくない。ただし、品質を犠牲にしてまで費用を下げることは避けるべきだ。
ここが変わった ── 2025年の動向
Circular 99/2025/TT-BTCにより電子税務申告のプラットフォームが更新され、会計事務所には新システムへの対応が求められている。選定時に「新プラットフォームへの対応状況」を確認すべきだ。
Social Insurance Law 2024(2025年7月施行)により社会保険の加入対象が拡大された。給与計算・社会保険手続きの複雑化に対応できるかも、会計事務所の選定基準に含めるべきである。
移転価格規制の執行強化に伴い、Big 4の移転価格チームへの需要が増加している。早めに契約を済ませないと、繁忙期(3月のCIT確定申告期前後)にリソースが確保できないリスクがある。
個人情報保護に関するDecree 13/2023/ND-CP(PDPD)の執行が本格化しつつあり、この分野の助言能力も法律事務所の選定基準に含めることが望ましい。
まとめ:やっておくべきこと
選定は進出の半年前から着手する:設立手続きには法律事務所が、設立直後から会計事務所が必要になる。ギリギリの選定は品質の妥協につながる
最低3社から見積もりを取得する:費用だけでなく、サービス範囲、担当者の経験、レスポンスタイムを比較する
面談で担当者を直接評価する:事務所の営業担当ではなく、実際に担当する予定のスタッフと話す。日本語力、専門知識、コミュニケーション能力を確認する
レファレンスチェックを実施する:既存クライアント(できれば同業種の日系企業)に、サービスの満足度を直接ヒアリングする
「二層構造」で専門家を配置する:日常業務は日系事務所、高度な専門案件はBig 4や国際事務所と使い分ける
レッドフラグを見逃さない:「確実に保証」「当局にコネあり」は危険信号。専門性と誠実さで選ぶ
契約前に費用体系を明確にする:追加費用の発生条件、時間単価とリテイナーの選択肢、見積もりに含まれるサービス範囲を書面で確認する
年1回はサービス品質をレビューする:専門家との関係は「選んで終わり」ではない。定期的に品質をレビューし、改善点をフィードバックすることで、長期的に良好な関係を構築する


