※本稿は2026年3月時点の法令・制度に基づく一般的な情報提供であり、個別の法的助言を構成するものではない。具体的な対応にあたっては専門家への相談を推奨する。
はじめに
「ベトナムに独禁法?」と意外に思う方がいるかもしれない。しかし、ベトナムの競争法2018(Law No. 23/2018/QH14)は域外適用を持つ本格的な競争法であり、外国企業のM&Aにもベトナムへの事前届出が義務付けられるケースがある。
しかも届出の閾値は比較的低い。当事者のいずれか一社のベトナム国内の総資産または売上高がVND 3兆(約180億円)以上であれば、それだけで届出義務が発生する。大手日系製造業の親会社であれば、グローバルM&Aでも容易にこの閾値に達する。
2024年には初の罰金事例が出され、届出件数も年々増加している。「ベトナムの競争法は形だけ」という認識はもう通用しない。
第1章 競争法の三本柱
反競争的協定の禁止
競合他社との間の価格カルテル、市場分割、入札談合は「絶対的禁止」であり、市場への影響を問わず違法となる。一方、研究開発の制限や抱き合わせ販売などは「効果に基づく禁止」であり、実質的に競争を制限する場合のみ禁止される。
注目すべきはセーフハーバーの存在だ。水平的合意(競合他社間)の場合、合算市場シェアが5%未満であれば適用除外。垂直的合意(メーカーと代理店間等)の場合は15%未満で適用除外となる。
市場支配的地位の濫用禁止
市場シェア30%以上の企業は「支配的地位」にあるとされ、略奪的価格設定、不合理な価格の設定、再販価格の拘束、取引先の差別的取扱いなどが禁止される。
企業結合(M&A)の事前届出
一定の閾値を超える企業結合は、実行前にベトナム競争委員会(VCC)への届出が義務付けられる。
第2章 企業結合の届出 ── 日系企業にとっての意外な落とし穴
閾値は「一社基準」
届出が必要になる閾値は以下のいずれか一つでも該当する場合だ:
重要なのは「いずれか一社」という基準だ。日本の独禁法の企業結合届出は「当事者グループの国内売上高合算」で判断するが、ベトナムでは一社だけで閾値に達すれば届出義務が発生する。
グローバルM&Aでもベトナムへの届出が必要になる
例えば、日本の親会社が東南アジアの企業を買収するグローバルM&Aを行う場合、買収対象企業がベトナムに子会社を持っており、その子会社の資産がVND 3兆以上であれば、ベトナムへの届出が必要になる。
「ベトナムとは直接関係のない取引」と思っていても、ベトナムへの届出義務が発生するケースがある。しかも届出を怠った場合の罰則は関連市場の売上高の最大5%と、決して軽くない。
合弁事業(JV)も対象
ベトナムでは、親会社が資産を拠出する合弁事業(グリーンフィールドJVを含む)も「企業結合」に該当しうる。合弁パートナーとの新会社設立であっても、閾値を超える場合は届出が必要となる。
審査プロセス
届出から承認までの流れ:
- 有効性確認(7営業日):書類の形式的な確認
- 第一段階審査(30日):予備的な審査。ほとんどの案件はここでクリアランスが出る
- 第二段階審査(90日、延長で最大150日):市場への影響が大きい案件のみ
30日以内にVCCから回答がない場合は「自動クリアランス」となる。これは日本にはない仕組みだ。
第3章 VCC(ベトナム競争委員会)── 執行が本格化
初の罰金事例
2024年、Duc Giang Lao Cai Chemicals社がPhosphorus 6社の株式100%を取得したが、VCCへの届出を行わなかった。罰金VND 13.2億(約800万円)が科された。これはベトナム競争法史上初めて公表された企業結合届出懈怠の罰金事例であり、VCCが「見ているだけ」の機関ではなくなったことを示す画期的な事例だ。
届出件数の急増
VCCへの企業結合届出件数は年々増加している:
- 2020年:63件 → 2021年:130件 → 2022年:154件 → 2023年:183件 → 2024年:197件
企業のコンプライアンス意識の向上と、VCCの執行姿勢の明確化が背景にある。
調査の活発化
2023年4月の設立以降、VCCは17件の調査を開始している。化学、鉄鋼、保険、自動車など幅広いセクターが対象だ。
第4章 販売代理店契約の注意点
垂直的制限への規制
外国の製造企業がベトナムの販売代理店と契約する際、以下のような条項を入れることがある:
- 独占販売権(特定地域での独占販売を認める)
- テリトリー制限(販売地域を制限する)
- 再販価格の拘束(販売価格を指定する)
これらの垂直的制限は、当事者の合算市場シェアが15%以上の場合、反競争的合意として問題となりうる。特に再販価格の拘束は注意が必要だ。
市場シェアが15%未満であればセーフハーバーの適用を受けるが、市場の定義は必ずしも明確ではなく、VCCの解釈に依存する部分がある。
第5章 想定される失敗パターン
パターン1:グローバルM&Aでベトナム届出を見落とす
日本の親会社がグローバルM&Aを行い、買収対象のベトナム子会社の資産がVND 3兆を超えていた。日本やEUへの届出は行ったが、ベトナムへの届出を見落とした。事後的に発覚し、罰金を科される。
パターン2:合弁事業の届出義務を認識していない
ベトナム企業との合弁事業を設立する際、「新会社の設立だから届出は不要」と考えた。しかし親会社の資産拠出が企業結合に該当し、事前届出が必要だった。
パターン3:販売代理店契約の反競争条項
ベトナムの販売代理店に独占販売権と再販価格の拘束を課す契約を締結。市場シェアがセーフハーバーの15%を超えていたため、反競争的合意として問題化する。
日本との違い ── 「日本の常識が通じない」ポイント
- 閾値の基準
日本は「当事者グループの国内売上高合算」で判断。ベトナムは「いずれか一社」の資産または売上高で判断。一社基準のため、大企業には該当しやすい。
- 自動クリアランス
ベトナムでは30日以内にVCCから回答がなければ自動的にクリアランスとなる。日本にはこのような仕組みはない。
- セーフハーバーの明確さ
ベトナムでは水平5%・垂直15%という明確な数値基準がある。日本の独禁法にはこのような明確なセーフハーバーは設けられていない。
- 域外適用の広さ
ベトナム競争法は、ベトナム国外で行われた行為でもベトナム市場に影響がある場合に適用される。グローバルM&Aでも見落とせない。
ここが変わった(2025〜2026年)

まとめ:やっておくべきこと
自社グループの総資産・売上高がベトナムの届出閾値(VND 3兆)を超えるかを確認する。 超える場合、グローバルM&Aの際にベトナムへの届出義務が発生しうる
グローバルM&Aの検討段階で、ベトナムの企業結合届出の要否を必ずチェックリストに入れる。 日本、EU、米国への届出だけでは不十分
合弁事業(JV)を設立する場合、企業結合届出の要否を法律事務所に確認する。 新規設立であっても届出が必要な場合がある
販売代理店契約に独占条項やテリトリー制限を含める場合、セーフハーバー(15%基準)との関係を確認する。 市場シェアが15%を超える場合は特に注意
ベトナム競争法に精通した法律事務所をアドバイザーとして確保しておく。 届出が必要になった場合に迅速に対応できる体制を整える
VCCの執行動向と罰則強化の改正案をモニタリングする。 執行が年々活発化しており、コンプライアンスの重要性が増している


