※本稿は2026年3月時点の法令・制度に基づく一般的な情報提供であり、個別の法的助言を構成するものではない。具体的な対応にあたっては専門家への相談を推奨する。

はじめに

ベトナムでビジネスをしていると、許認可の取得、税務調査への対応、通関手続きなど、行政機関とのやり取りが避けられない。そうした場面で「手続きを早く進めるために少しお礼を」「税務調査の指摘事項を軽くしてもらうために」と、暗黙の要求を受けることがある。

「ベトナムではそういうものだ」「少額なら大丈夫」──そう考えた日本人経営者が、実際に刑事罰を受けた事例がある。2022年、日系プラスチック製造業の社長がベトナム税務当局への贈賄で、日本の不正競争防止法違反で有罪判決を受けた。ベトナムでの贈賄は、ベトナムの法律だけでなく日本の法律でも裁かれるのだ。

本稿では、ベトナムの汚職・贈収賄防止法の仕組みと、日系企業が具体的にどう対処すべきかを解説する。

第1章 ベトナムの汚職防止法 ── 2019年に大きく変わった

汚職防止法2018の衝撃

2019年7月1日に施行された汚職防止法2018(Law No. 36/2018/QH14)は、それまでの法律を全面的に置き換えた。最大の変化は二つある。

第一に、適用範囲が民間企業にまで拡大されたこと。従来は公的セクターの問題として扱われていた汚職防止義務が、民間企業にも課されるようになった。

第二に、公務員への贈答が全面的に禁止されたこと。施行細則であるDecree 59/2019/ND-CP第25条は、時期や金額にかかわらず、公務員は私企業からいかなる贈答品も受け取ってはならないと明確に規定している。

贈賄の法的定義

刑法上、贈賄とは、公務員に対してその職務権限を利用する意図をもって、200万VND(約1万2千円)以上の金銭、財産またはその他の物質的利益を提供・申出・約束する行為である。

200万VND未満であっても、反復的に行われる場合や公務の公正性を害する場合は処罰対象になりうる。つまり、「少額だから大丈夫」という理屈は通用しない。

刑事罰の重さ

贈賄側の刑事罰は、金額に応じて段階的に重くなる:

  • 200万〜1億VND:2〜7年の懲役
  • 1億〜5億VND:7〜12年の懲役
  • 5億VND以上:12〜20年の懲役

収賄側はさらに重く、最高刑は終身刑である(2025年7月の刑法改正で死刑は廃止されたが、依然として極めて重い)。

第2章 「ベトナムではそういうものだ」は通用しない

贈答文化と法律の壁

ベトナムには、テト(旧正月)や中秋節に贈り物を交わすビジネス文化がある。取引先との良好な関係を維持するための贈答は、ベトナムの商慣習として根付いている。

しかし、法律は明確な線を引いている。

合法の範囲:

  • 民間の取引先に対する常識的な範囲の贈答(テトのギフトセット等)
  • 企業の宣伝用品(カレンダー、手帳等の低額なノベルティ)
  • ビジネスランチ・ディナーの招待(合理的な範囲内)

違法(犯罪):

  • 公務員に対するあらゆる贈答品(金額にかかわらず全面禁止)
  • 許認可の取得促進を期待した金品の提供
  • 税務調査の指摘軽減と引き換えの支払い
  • 手続きの迅速化のための「促進費」(ファシリテーション・ペイメント)

「ファシリテーション・ペイメント」という幻想

英語では「facilitation payment」と呼ばれる、日常的な行政手続きの迅速化のための少額の支払い。米国のFCPAでは一定の条件下で例外が認められるケースがあるが、ベトナム法でも日本法でも一切認められていない。

「通関を早くするために5万円だけ」「書類の処理を急いでもらうために」──こうした支払いは、金額の大小にかかわらず贈賄として処罰される。

第3章 日本の法律もあなたを追いかける

不正競争防止法の域外適用

日本の不正競争防止法第18条は、「外国公務員等に対する不正の利益の供与等」を禁止している。この規定は域外適用を持つ。つまり、ベトナムで行われた贈賄であっても、日本人や日本企業が関与していれば、日本の法律で処罰される。

2022年の天馬事件は、まさにこのケースだった。日系プラスチック製造業の社長が、ベトナムの税務当局幹部への贈賄で、日本の裁判所で有罪判決を受けた。

他国の法律のリスクも

日系企業が以下の条件に該当する場合、他国の反贈賄法の適用も受ける可能性がある:

  • 米国の上場企業、または米国企業との合弁:FCPA(米国海外腐敗行為防止法)の適用
  • 英国との取引がある企業:UK Bribery Act(英国贈賄法)の適用
  • 上場企業のグループ会社:親会社が上場している市場の規制の適用

第4章 贈賄リスクが高い具体的な場面

日系企業がベトナムで直面する贈賄リスクは、以下の場面で特に高まる。

会社設立・許認可取得

投資登録証明書(IRC)や企業登記証明書(ERC)の取得は、書類不備や審査遅延が起こりやすい。このとき「手続きを早く進めるために」と金品を求められるリスクがある。正当な手続きの範囲内で対応し、異常な遅延があれば法律事務所を通じて正式に異議を申し立てるべきだ。

税務調査

ベトナムの税務調査では、調査官が広範な裁量権を持つ。指摘事項の軽減と引き換えに金品を要求されるリスクは、日系企業の間で最も懸念される場面の一つだ。税務調査には必ず会計事務所・税務専門家を同席させ、指摘事項には書面で正式に回答する体制を整えるべきである。

建設許可・消防検査

工場の建設許可や消防検査(PCCC)は、検査官の判断に左右される部分が大きい。不合格の場合の再検査や、合格のための「便宜」を求められるリスクがある。検査基準を事前に確認し、コンサルタントを通じた不透明な支払いに注意する必要がある。

通関手続き

原材料の輸入や製品の輸出に伴う通関手続きでは、「通関を早くする」ための非公式な手数料を求められることがある。正規の手続きと費用以外は一切支払わないという原則を徹底すべきだ。

テト・中秋節の贈答シーズン

テト前は特に注意が必要な時期だ。取引先への贈答は合法だが、許認可担当の公務員、税務調査官、消防検査官などへの贈答は、金額にかかわらず違法である。「ベトナムの慣習だから」という言い訳は通用しない。

第5章 コンプライアンス体制の構築

社内ポリシーの策定

贈収賄防止コンプライアンスポリシーには、最低限以下の内容を含めるべきだ:

  • 贈収賄の全面禁止の明確な宣言
  • 公務員への贈答全面禁止のルール
  • 取引先への贈答の上限額と事前承認手続き
  • 公務員との接触に関する報告義務
  • ファシリテーション・ペイメントの禁止
  • 違反時の懲戒処分の規定
  • 内部通報制度(匿名通報が可能な仕組み)

研修と意識啓発

コンプライアンスポリシーは策定するだけでは意味がない。以下の取り組みが不可欠だ:

  • 入社時研修:全従業員に対する贈収賄防止教育
  • 管理職研修:特にリスクの高い場面(税務調査、許認可取得)を想定したロールプレイング
  • 定期的なリマインダー:テト前など贈答リスクが高まる時期に注意喚起
  • 日本本社との連携:グループ全体のコンプライアンス方針との整合性確保

記録と証跡

すべての贈答・接待には記録を残すことが重要だ:

  • 贈答の相手先、日時、品目、金額
  • 承認者の記名
  • ビジネス上の正当な理由
  • 会計帳簿への適切な記録

日本との違い ── 「日本の常識が通じない」ポイント

  1. 公務員への贈答の全面禁止

日本では、公務員に対してもお中元・お歳暮程度の社交的な贈答は一般的に問題視されない(ただし金額や文脈による)。ベトナムでは2019年以降、公務員への贈答は金額にかかわらず全面的に禁止されている。

  1. 少額でも犯罪

日本では贈賄が問題になるのは相当な金額のケースが多いが、ベトナムでは200万VND(約1万2千円)以上で刑事罰の対象となる。反復的な少額の支払いも処罰されうる。

  1. 「慣習」では済まない

「ベトナムの商慣習だから」という主張は法的な抗弁にならない。日本でもベトナムでも、法律は「現地の慣習」を免責事由として認めていない。

  1. 日本法の域外適用

ベトナムで行った贈賄であっても、日本人が関与していれば日本で刑事訴追される。これは天馬事件で実証済みだ。

ここが変わった(2025〜2026年)

表:ここが変わった20252026年

まとめ:やっておくべきこと

  1. 贈収賄防止コンプライアンスポリシーを会社設立と同時に策定する。 公務員への贈答全面禁止、ファシリテーション・ペイメントの禁止を明記する

  2. 公務員との接触は必ず記録する。 誰と、いつ、どのような内容のやり取りをしたかを書面に残す

  3. 許認可手続き・税務調査には必ず法律事務所・会計事務所を同席させる。 不当な要求を受けた場合に専門家がその場で対応できるようにする

  4. テト前に全従業員に贈答ルールを周知する。 公務員への贈答は一切禁止、取引先への贈答は上限額と事前承認が必要であることを明確にする

  5. 内部通報制度を整備する。 匿名での通報が可能な仕組みを作り、報復を禁止するルールを設ける

  6. 日本本社のコンプライアンス部門と連携する。 不正競争防止法の域外適用リスクについて、グループ全体で認識を共有する

  7. 「少額だから」「一度だけだから」「ベトナムの慣習だから」は通用しないことを肝に銘じる。 この三つの言い訳が、日系企業の経営者を刑事被告人にした実例がある