私にはベトナム人の妻との間に、娘と息子がいます。娘が生まれたとき、ベトナム語の名前をつけるのに迷いはありませんでした。どの名前を思い浮かべても、素敵な女性の顔が次々と浮かんでくるからです。

しかし、息子の名前をつけるときには、本当に頭を抱えました。候補となる名前を口にするたび、その名前を持つ「ダメ男」たちの顔が何人も思い浮かんでしまうのです。この感覚は、ビジネスの現場でも顔を出します。採用活動をしていると、もう「男である」というだけで、無意識に履歴書をはねてしまっている自分に気づくのです。念のため読んだり面接したりしても、結局は女性を採用している。

そして、ふと周りを見渡せば、どこの会社に行ってもオフィススタッフは女性ばかり。工場のラインに立っているのもほとんどが女性。「一体、男たちはどこにいるんだろう?」と本気で不思議に思うことさえあります。

この感覚を象徴するのが、ハノイのタイ湖でよく目にする光景です。日曜の朝、湖畔の公園では女性たちが熱心に運動している。しかし、その道の反対側にあるビアホイ(大衆ビアホール)に目をやれば、同じく日曜の朝から男性たちがジョッキを傾けているのです。

「男性がダメに見えるのは、男の子が甘やかされて育つからだ」という説をよく耳にします。しかし、私自身の子育ての経験から言えば、「子育てを見ても、そんなに甘やかされているようには見えない」のです。この通説と、私のリアルな観察との間のギャップこそが、この問題を深く調べるきっかけとなりました。

なぜ、女性の名前や経歴、そして働く姿にはポジティブな印象が伴い、男性にはネガティブな印象や、そもそも「見えない」という感覚がつきまとうのか。この個人的な体験やバイアスは、ベトナムという社会が持つ、ある種の「空気」を象徴しているのかもしれません。この現象の背景には何があるのか。徹底的にリサーチした結果、その根っこには、ベトナムの壮大な歴史、複雑な文化、そして現代の経済状況が深く絡み合っていることが見えてきました。

本記事では、Deep Reserchで調べたこの「強い女性」と「ダメに見える男性」という力のパラドックスを、歴史、文化、社会、そして子育ての観点から多角的に紐解いていきます。一個人のリアルな悩みの先に、私たちが知らなかったベトナム社会の奥深い真実が見えてくるはずです。

ベトナム人女性:歴史が鍛え上げた「最強の女性」たち

ベトナム人女性はよく「世界最強」と言われます。このことを妻に話すと冷たい顔で「お前は中国人と結婚したことがないからそんな事言えんだよ」と言われましたが、ベトナム人女性が強いことに変わりありません。

ベトナム女性の「強さ」を理解するには、まず、彼女たちがくぐり抜けてきた歴史に目を向けなければなりません。特に、数十年にわたった戦争、中でもベトナム戦争の経験が、彼女たちの役割を根底から変えました。

戦争が彼女たちを「戦士」にした

戦時中、女性は単なる銃後の守り手ではありませんでした。兵士として、スパイとして、あるいは物資を運ぶ輸送員として、国家の存亡をかけた戦いの最前線に立ったのです。危険なホーチミン・ルートを補修し、武器や食料を運び、不発弾を処理する。こうした直接的な貢献は、「女性は英雄であり、有能である」という強力な国民的イメージを創り上げました。

銃後もまた、もう一つの戦場でした。男性が前線へ向かう中、北ベトナムでは「三担当運動」がスローガンとなり、女性たちは「生産」「家庭」「戦闘準備」という3つの責任を担うことを社会から求められました。170万人以上の女性がこの運動に参加し、「国のため」「家族のため」という二重の責任を背負うことが当たり前になったのです。

この歴史こそが、現代ベトナムの高い女性労働力率の原点です。戦争は、アメリカの「リベット工ロージー」のように女性の社会進出を劇的に促し、その流れは戦後も国家の政策として引き継がれました。働く女性は、特別な存在ではなく、社会の「標準」となったのです。

世界トップクラスの働き者、そしてパワフルな起業家

その歴史的背景は、現代の経済データにもはっきりと表れています。ベトナムの女性労働力率は約70%。これは世界平均の約50%を大きく上回る、驚異的な数字です。街で目にするエネルギッシュな女性たちの姿は、このデータに裏付けられています。

しかし、彼女たちは単なる労働力ではありません。全企業の25%以上が女性によって経営されており、政府はこの比率をさらに高める目標を掲げています。格安航空会社ベトジェットエアを創業し、自力で億万長者となったグエン・ティ・フオン・タオ氏のようなスター経営者から、地域に根差した社会起業家まで、その活躍は多岐にわたります。

家庭では「家の屋根」であり「金庫番」

この経済的な力は、文化的な役割にも支えられています。ベトナムでは伝統的に、男性が家を支える「trụ cột(柱)」であるのに対し、女性は家全体を守る「nóc nhà(家の屋根)」と見なされます。

さらに重要なのが、家計における彼女たちの役割です。女性は「tay hòm chìa khóa(金庫の鍵を握る手)」として、家計を管理するのが一般的。たとえ夫が主たる稼ぎ手であっても、お金の管理は妻の仕事。母親は娘に「経済的に自立しなさい」と教え込むと言います。この文化が、女性に家庭内での実質的な権力を与えているのです。

「強さ」の裏にある「二重の負担」という現実

しかし、この「強さ」を手放しで賞賛することはできません。その裏には、深刻な不平等と、見過ごされがちな負担が隠されています。

問題は「二重の負担(gánh nặng kép)」という言葉に集約されます。外で男性と同じように働きながら、家庭では家事、育児、介護といった無償のケア労働を圧倒的に多く担っているのです。ある調査では、女性が家事に費やす時間は週平均20.2時間であるのに対し、男性は10.7時間。女性は男性の約2倍も家事をしている計算になります。

さらに、経済的な不平等も根強く残っています。不安定なインフォーマルセクターで働く女性の割合は高く、同じ仕事をしていても、女性の賃金は男性より1割以上低いというデータもあります。管理職に占める女性の割合も、労働力人口に占める割合に比べて低いのが現状です。

つまり、ベトナム女性の目に見える「強さ」とは、真の男女平等が達成された証ではありません。むしろ、仕事も家庭もすべてを要求する不平等な社会システムの中で、生き残り、成功するために身につけざるを得なかった、必然的な適応能力の現れなのです。

ベトナム人男性:「家の柱」という名の重圧。

さて、今度は男性に目を向けてみましょう。「ダメ男に見える」という印象は、彼らが本当に無気力だからなのでしょうか。答えはノーです。その姿は、伝統的な男性像がもたらす、巨大で目に見えないプレッシャーの「症状」である可能性が高いのです。

「真の男」への高すぎるハードル

ベトナム人男性の心理を理解する鍵は、前述した「trụ cột(家の柱)」という言葉にあります。男性は一家を支える大黒柱でなければならない。これは単なる理想ではなく、男性の価値を測る社会的な物差しです。

この「柱」に求められるものは、経済力だけではありません。ある調査では、「真の男」の基準として、安定した職業、高い学歴、リーダーシップ、資産、決断力、そして「酒が飲めること」まで、実に23項目もの基準が挙げられました。

専門家は「これらの基準はあまりに厳しく、多くの男性を困難に陥らせている」と指摘します。この高すぎる期待に応えられないことは、単なる失敗ではなく、男性としての価値の否定と受け取られかねません。調査によれば、8割以上の男性が経済的負担に、7割近くが職業上の負担に「圧倒されている」と感じています。このプレッシャーが、彼らを精神的に追い詰めているのです。

プレッシャーのはけ口はビアホールへ?

耐え難いプレッシャーは、時に不適切な対処メカニズムとして現れます。その典型が、過剰なアルコール消費です。もちろん全ての人がそうだというわけではありませんが、ベトナムは世界有数のアルコール消費国であり、そのほとんどが男性によるものです。ビジネスや社交のため、そしてストレスからの逃避のために酒を飲む。飲むこと自体が、男性性を示す儀式のようになっている側面もあります。この飲酒文化が、我々のような外国人からは無責任で「ダメ」な行動に映ってしまうのです。

実は優しい「レディーファースト」と新しいパパ像

一方で、ベトナム人男性のイメージは一枚岩ではありません。支配的な家父長というイメージとは裏腹に、「レディーファースト」の文化が強く根付いています。ドアを開けたり、荷物を持ったり、デート代を支払ったりするのは、ごく自然な振る舞いであり、その「優しさ」は魅力とされています。

家庭でも変化は起きています。特に都市部の若い世代を中心に、子供の送り迎えや食事の準備など、積極的に育児に参加する「現代的なパパ」が増えています。

つまり、現代のベトナム人男性は、「強く頼れる柱」であるべきという伝統的な理想と、「優しく家庭的な現代人」であるべきという新しい理想との間で引き裂かれているのです。この二つの矛盾した役割を同時にこなそうとする葛藤が、外部からは一貫性のない、どこか頼りない姿に見えてしまうのかもしれません。彼らは「ダメ男」なのではなく、二つの役割の狭間で揺れ動く、過渡期の男性なのです。

すべての根源?「儒教」と「子育て」の意外な真実

では、なぜこのような複雑なジェンダー観が生まれたのでしょうか。その根源を探るには、ベトナム社会の思想的基盤である「儒教」と、実際の「子育て」に目を向ける必要があります。そしてここにも、私たちの思い込みを覆す、意外な事実が隠されています。

儒教だけでは説明できない、ベトナム独自のハイブリッド文化

中国から伝わった儒教が、男性優位の家父長制的な価値観をもたらしたことは事実です。女性は父、夫、そして長男に従うべきだとする「三従」の教えや、跡継ぎとなる男の子を尊ぶ「男児選好」の思想は、社会に深く根付きました。これが、男性が「家の柱」として重圧を背負う思想的な背景となっています。

しかし、ベトナムの面白さは、儒教をそのまま受け入れたわけではない点にあります。儒教が伝わる以前から、ベトナムには女性の力を尊ぶ土着の文化が存在していました。中国の支配に反旗を翻した徴姉妹(ハイバーチュン)の伝説は、その象徴です。

その結果、ベトナムでは二つの文化が融合し、独自のハイブリッドな現実が生まれました。儒教が男性支配を説く一方で、「Nhất vợ, nhì trời(妻が一番、天が二番)」なんていう諺が存在するのです。

この二重構造こそが、パラドックスの鍵です。公式な場面や家系の継承では男性が立てられる(儒教的価値観)一方で、経済や家庭運営といった実利的な場面では女性が力を握る(土着的価値観)。この奇妙な共存が、ベトナムのジェンダー観をユニークなものにしているのです。

「甘やかされた息子」神話の解体

「男性がダメに見えるのは、男の子が甘やかされて育つからだ」という通説は、実際のベトナムの子育てを見ると、説得力を失います。

ベトナムの伝統的な子育ては、むしろ厳格です。「愛しているからこそ叱る」という考え方が根底にあり、子供は男女を問わず、幼い頃から礼儀作法と年長者への絶対的な敬意を叩き込まれます。また、親は子供の学業に極めて高い期待を寄せ、強いプレッシャーをかけます。これは「甘やかし」とは正反対のスタイルです。

では、なぜ「息子は甘やかされている」という認識が生まれるのでしょうか。 それは、「甘やかし」と「役割分担のための育成」を混同しているからです。

息子は、確かに家事から免除される傾向にあります。しかしそれは、彼が怠け者になることを許されているわけではありません。彼の役割は「外」の世界にあり、勉学に励んでキャリアを築き、将来「家の柱」になることだからです。家事の免除は、その重大な責任を果たすための「分業」と見なされているのです。この「特権」は、家系を継承するという生涯にわたる「重圧」とセットになっています。

対照的に、娘は将来「家の屋根」となるため、母親を手伝って家事の実務を学びます。これもまた、彼女に割り当てられた役割を果たすための訓練なのです。

つまり、「甘やかされた息子」は神話であり、その実態は「重圧を背負わされた跡継ぎ」なのです。

このことは、教育に関するデータからも明らかです。ベトナムは教育における男女平等をほぼ達成しており、大学への進学率に至っては、むしろ女子の方が高いという驚くべき結果も出ています。親は息子も娘も、等しく高い教育を受けさせようとします。ただ、その教育の先に見据える「役割」が、男女で異なっているだけなのです。

すれ違う「期待」が生んだ、現代ベトナムの肖像

ここまで見てきたように、「強い女性/ダメに見える男性」という認識は、ベトナム社会の複雑な現実の一側面を捉えつつも、その本質を見誤ったものです。

女性の「強さ」は、不平等な社会が彼女たちに強いる「二重の負担」を乗り越える過程で獲得した、実在の能力であり、適応の証です。

男性の「ダメに見える姿」は、伝統的な「家の柱」であれという過大な期待に応えきれない、苦悩の「症状」なのです。

このパラドックスは、戦争の記憶、儒教と土着文化の融合、そしてグローバル資本主義の波という、幾重もの力がぶつかり合う、現代ベトナムの壮大な社会変容が生み出した、過渡期の現象と言えるでしょう。

私たちが旅先で目にしたり、あるいは生活の中で無意識に感じたりするバイアスは、その社会のほんの一断面に過ぎません。しかし、その裏側にある人々の歴史や文化、そして葛藤に思いを馳せるとき、ベトナムという国は、もっと立体的で、もっと魅力的に見えてくるのではないでしょうか。