正直に打ち明けると、私はショッピングモールのことはよく知らない。
もともと買い物に行かない。ハノイに来て10年、Vincom(ビンコム)にもイオンにも、ほとんど足を向けなかった。来た当初こそ物珍しさといくところがないので時々行っていたが、子どもが物心ついてからは、むしろ意識的に避けるようになった。一度入ると、あの冷房の効いた迷路から帰れなくなる。ガチャガチャ、アイス、おもちゃ——誘惑が多すぎる。帰り際にはたいてい揉める。40代後半の父親の体力が持たない。
ところが最近、その苦手なモールに、私は繰り返し通っている。
理由のひとつは、多分、甘い物と小麦をやめたことで、疲れにくくなったので、以前だったら考えただけで嫌だと思っていたのが思わなくなった。
もう一つは、子どもの遊び場としてよくできているからだ。アイススケート、ローラースケート、「X Space」というデジタル技術を活用した屋内の遊び場、水族館、消防車に乗れる職業体験。金は使わされるし帰りは相変わらず揉めるのだが、ただ時間を潰すのではなく、子どもが「体験」して帰れる。
10年ぶりに、私はモールを徘徊する人間になった。そして、はっきり感じたことがある。
——変わった。
10年前のハノイのモールは、知らないブランドばかりで、店には活気がなかった。活気があるのはレストランだけ。がらんとした通路に、暇そうな店員。そんな記憶だ。それが今は、相変わらず知らないブランドばかりなのに、店構えが見違えるほど洗練され、人が増えている。レストランは相変わらずビュッフェが多いけれど、選択肢はぐっと広がった。
……というのが、私の「感覚」である。ここが引っかかった。本当だろうか。10年も経てば人間の記憶は都合よく上書きされる。この手ざわりは、データで裏が取れるのか。取れないのか。今日はそれを、一緒に答え合わせしていきたい。
知らないブランドばかりなのは、今も同じだった
まず、ブランドの話から片付けたい。ここは一度、言い直させてほしい。
最初は「10年前はしょぼいブランドばかりだった」と書こうとした。でも思い返すと、違う。10年前も今も、並んでいるのは私の知らないブランドばかりなのだ。ファッションに縁のない私が知らないのは当然として——変わったのは、店のほうだ。昔の店は、興味のない私にも分かるくらい、店構えに覇気がなかった。今は同じ「知らないブランド」のはずなのに、どこか外国のハイセンスなブランドだろうか、と思わせる店構えと品揃えで澄ましている。変わったのはブランドの知名度ではなく、売り場の水準なのだ。
とはいえ、名前を知っている側の定番が来たのも、この10年ではある。Zara(ザラ)のベトナム1号店はホーチミンで2016年9月。ハノイ進出は2017年。H&Mが2017年、ユニクロに至ってはホーチミン1号店が2019年12月、ハノイ1号店は2020年3月だ。しかもハノイのユニクロ1号店は、ビングループの「Vincom Center ファムゴックタック」に入っている。
つまり10年前のハノイは、世界の定番すらまだ来ていない街だった。品揃えが寂しく見えたのは、感覚のせいではない。
私が見た「知らないのに洗練されている店」の正体は、外資ではなく、たぶんローカル勢のほうだ。オフィスカジュアルのYODY(ヨディ)は全国46省に約220店舗(VietnamPlus)。ネット発のCoolmate(クールメイト)は2025年の売上が約1兆ドン、前年比75%増。2030年までに売上の4割を実店舗で稼ぐ計画を掲げ、店を「ベトナムの品質を見せる空間」と言い切る(Việt Nam News)。一方で、2025年上半期にはローカルブランドの路面店閉鎖・再編も相次いだ。つまり、いま私たちがモールで見ている「洗練された服屋」は、この淘汰を生き残った側だけが並んでいる、ということでもある。
無名の店の店構えが上がる。これは実は、有名ブランドの上陸よりよほど重たい変化だと思う。誰も注目していない売り場の水準は、客の目が肥えて、市場全体の底が上がったときにしか上がらないからだ。この話は最後にもう一度する。
主役は、モールを作った側の「決断」だ
ここで、この記事の主人公を紹介したい。私や、私の記憶ではない。ハノイの巨大モールを作り、そして途中で作戦を変えた会社——ビングループ傘下のVincom Retail(ビンコム・リテール)だ。
私がよく連れて行かれるのは、Royal City(ロイヤルシティ)とTimes City(タイムズシティ)。どちらも10年少し前に開業した、地下に街がまるごと沈んでいるような巨大モールだ。
このVincom Retailが、いま自社のテナント構成をどう組んでいるか。数字が面白い。飲食(F&B)が30%、エンターテインメント(娯楽)が25%、ファッションと雑貨が20%、残りが食品スーパーとサービス——これが同社の次世代型モール「ライフデザイン・メガモール」の設計思想だ(Vincom Retail/businessdailymedia)。服屋より、遊び場のほうが広い。
私がアイスリンクや水族館や消防車に子どもと通わされているのは、偶然ではない。設計図どおりなのだ。
「買わない場所」が、いちばんの集客装置
Royal Cityの地下には、ベトナム初の国際規格の屋内アイスリンクがある。広さ3,000平方メートル、一度に150人が滑れる、氷はイタリア製の設備で作る。熱帯の国で、子どもたちが白い息を吐きながら転んでいる。この違和感が、そのまま集客力だ。
Times Cityには水族館がある。トンネル水槽をサメが横切る。うちの子はここで、消防車に乗る職業体験もやった。親は外のベンチでスマホを見ながら待つ——のだが、その待ち時間に、喉が渇き、腹が減る。そして飲食フロアへ吸い込まれていく。ビュッフェの湯気、フォーの匂い、タピオカの甘ったるい香り。財布が開く。
これがVincom Retailの狙いだ。娯楽(25%)で家族を呼び、飲食(30%)で財布を開かせ、その人の流れの中に服屋(20%)を置く。服屋単体で人を呼ぶのではない。「買わない場所」を先頭に立たせて、客の時間そのものを奪いにいく。
「洗練された」の裏にいる、財布の中身
ベトナムの一人当たりGDPは、2016年の約2,200ドルから、2024年には4,717ドルへ——8年で倍以上になった(世界銀行)。都市部の一人当たり月間支出は2024年で約380万ドン(約152米ドル)、前年比15.4%増(Vietnam Briefing)。近代的な小売(モダントレード)が小売売上に占める比率も、2016年の約25%から2025年には約30%へ上がった(Mordor Intelligence)。
小売市場そのものも膨らんでいる。2025年のベトナム小売市場は1,634億ドル規模、2026年1〜4月の小売売上高は前年同期比12.1%増(Mordor Intelligence/Vietnam Briefing)。要するに、モールで金を落とせる中間層が、この10年で分厚く育った。私が「店が洗練された」と感じたのは、店側が客の財布に合わせて品質を上げた、その結果を見ていたわけだ。感覚は、当たっていた。
イオンは変わっていないような気がする
私がいくイオンはハノイで一番古いイオンだからかもしれない。他のイオンはよくわからない。
イオンはVincomに比べて、子どもが遊べる施設が明らかに少ない。数少ない遊びコーナーはいつもパンパンで、買い物中の親が託児所代わりに子どもを置いていく。残っている親も、遊具の脇で寝ていたり、スマホをいじっていたり。正直、安心して遊ばせられる気がしないし、Vincomほど変わった遊ぶ施設がないため、イオンに行こうという気にはならない。
ただ、どこかのニュースで読んだが、イオンはベトナムでバンバン展開していく予定だということだし、売り場ではなく、体験を売るみたいなことを書いてあったので、そうなりつつあるのだと思う。
イオンで10年前と違う感覚は、10年前は女性たちが精一杯おしゃれしたような感じできていたが、今は家にいるような普段着で来ている人が多い。独身世代があまり来なくて、親になった世代が多く来ているのかはわからない。
中間層が生まれる瞬間は、統計より半歩早く、モールの風景に出る。
一人当たりGDP4,717ドルという数字は、いずれ統計年鑑で誰でも読める。でも「知らないブランドなのにハイセンスに見える店構え」や「パンパンの遊びコーナー」は、どの統計にも載らない。載らないくせに、次に何が起きるかはこちらのほうが先に教えてくれる。売り場の水準は客の目が肥えた分しか上がらないし、遊び場の行列は、「体験」の需要がまだ全然満たされていないことを示している。Vincomの娯楽25%は、その需要への先回りだ。埋まるのはこれからである。
三越の話の続きを言えば、日本でも中間層は、統計より先にデパートの屋上遊園地と大食堂に現れた。ハノイの地下で流れているのは、その再放送だ。ただし、倍速で。
この洗練されたモールの地下、Winmart(ウィンマート)のレジで、私は久しぶりに堂々たる割り込みを見た。私の生活圏では、いつの間にか見なくなった光景だ。腹が立つより先に、妙に安心してしまった。この10年で、人も街も、ずいぶん変わってしまったから。変わっていないものを見つけると、ほっとする。



