「愚痴を言って行動しないのは、日系企業だけですよ」
ベトナムで日本人が集まると、必ずこの話になる。
人が採れない。応募が来ない。来ても面接に現れない。採ってもすぐ辞める。給料を上げても隣の工場がもっと出す。ベトナム人は、ベトナム人は、ベトナム人は。
私も相槌を打っていた。実際に採用は難しい。嘘をついているわけではない。
その話をあるベトナム人にしたら、笑われた。
採用が大変なのはどこも同じですよ、と彼女は言った。中国系も韓国系もローカル企業も、みんな同じ市場で人を取り合っている。でも、愚痴を言っているのは日系企業だけです。他の会社は、その中で、やることをやっている。
北部の製造業では、4社に3社が同じことを言っている
自分の感覚を語る前に、確かめられることを確かめる。
ジェトロが2025年8月から9月に実施した「海外進出日系企業実態調査」で、ベトナムの日系企業のうち、直近2年間で「採用が困難になっている」と回答したのは48.2%だった。2023年度の類似設問では11.2%。ASEAN平均は36.8%。ベトナムは平均を大きく上回っている。
地域と業種で割ると、もっとはっきりする。北部の製造業では76.0%。南部の製造業は56.7%で、約20ポイント低い。
つまり「最近やたら採れなくなった」という体感は、気のせいではない。特に北部の製造業では、4社に3社が同じことを感じている。
さらに一つ、目を引く数字がある。同じ調査の全世界編によると、人材獲得の競合相手は多くの国で「地場企業」が最大なのに、ベトナムだけは中国系企業が最大だった。米中対立以降の生産移管で、北部に中国系・台湾系の大型工場が集中的に入ってきた結果だろう。
隣の中華系工場は、採用を生産能力だと思って金とスピードで殴る
北部で数万人単位の採用を続けているFoxconnやLuxshareといった中国系・台湾系の大型工場は、入社一時金や社員紹介報奨金を数百万ドン単位で積んでいると現地メディアが報じている。バクザン省だけで、2025年の企業全体の採用需要は十万人規模と見込まれていた。
これは採用を生産能力そのものと見なして、予算と専任チームと複数チャネルと即日面接を投入している会社の姿だ。困っていないのではなく、困り方への対処が違う。
日系だけが採用できないのではない。日系だけが、それを愚痴として処理している。
中国語が「稼ぐ言語」になった十年
もう一つ、自分の観察がある。
最近、中国語を勉強しているベトナム人のミドル層をよく見る。三十代、四十代、すでに仕事を持っている人が、中国語をやっている。
十年前、こういう人は見なかった。当時、日本語を勉強しているベトナム人は、私の印象では二種類しかいなかった。日本へ働きに行く単純労働者(留学も労働目的だった)か、ものすごく優秀な人か。その中間がほとんどいなかった。
国際交流基金の2024年度調査で、ベトナムの日本語学習者は164,495人。世界6位という規模は変わらないが、2021年度の169,582人からは約3%減っている。
同レポートによると、韓国語は初中等教育段階の機関数も学習者数も語学試験の受験者数も、すでに日本語を上回っている。中国語については、中国がベトナム最大の貿易相手国であり、中国語人材の就職率はほぼ100%とされ、中国への留学生数は前年比25%増。ドラマやSNSを通じた「中国語熱」が広がっている、と。
ジェトロが2025年4月に出した南部の調査でも、学生が日本語ではなく中国語・韓国語を選ぶケースが増え、日本語のプレゼンス低下が懸念されると書かれている。
ここに、ものすごく単純で、ものすごく効く構造がある。
中国語は「ベトナム国内で稼ぐための言語」になった。日本語は「日本へ行くための言語」であり続けた。
日本語を身につけた人材は、日本語を使ってベトナム国内の日系企業で働くのではなく、日本語を使って日本へ行く。日本にいるベトナム人労働者はすでに数十万人規模で、国籍別で最多だ。ベトナム国内の日系企業が雇っているベトナム人と、日本で働いているベトナム人が、ほぼ同じオーダーになっている。
そのうえで、ベトナム国内の日系企業が「日本語必須」で技術者や経理を募集する。母集団は二重に絞られる。学習者数が減っている池から、さらに日本に行かなかった人だけを掬おうとしている。
これは採用の話ではなく、組織の話かもしれない
ここまでは、賃金と語学と採用チャネルの話だった。三本のリサーチを読んで、どれもだいたい同じ結論に着地していた。総支給額の見せ方、決裁スピード、SNSと紹介制度、日本語要件の撤廃。正しいと思う。明日からやればいい。
ただ、読み終えて残ったのは、そこではなかった。
採用の話をしているつもりで、実は組織の話をしているのではないか。
私が現場で感じている違和感は、二つある。
一つ目。日本本社にいる人が持っているベトナム像は、十年以上前のものだ。安い労働力。おとなしくて勤勉。日本語ができる若い子がいる。日本のやり方を教えれば喜んで学ぶ。ここ数年でベトナムの賃金がどう動き、若手が何を見て転職先を選び、隣に何ができたのか。その情報は入っていない。
二つ目。これは自分にも刺さる。ベトナムに住んでいる日本人の間で交わされる情報も、真偽が定かでないか、数年遅れだったりする。誰かが誰かから聞いた話が、出典を失ったまま「ベトナムでは」という形で流通する。私もそれを再生産していた側だ。
なぜこうなるのか。語学力の問題はある。だがそれだけではないと思う。
情報が、一人の穴を通っている
参考になる調査がある。日系企業の海外現地法人の「経営の現地化」を調べたJACリクルートメントの調査(2022年)で、経営現地化を阻む要因として挙がったのは、「日本本社側に国際対応力が不足している」35.7%、「駐在員が不在となることに伴う日本本社との連絡不全」29.5%、「現地の幹部候補人材の育成が進まない」42.6%だった。
この調査は、駐在員が「ジャパンデスク化」する現象を指摘している。本来なら本社が直接やるべき現地とのやり取りを、本社の国際対応力のなさから駐在員に丸投げする。結果、あらゆる指示と報告が駐在員一人を通る。駐在員がいないと本社と現地の連絡が切れる。ナショナルスタッフと本社の間に心理的な距離と認識のギャップが生まれ、現地人材の育成も進まない。
これを情報の話として読み直すと、こうなる。
現地の一次情報は、本社に届く前に必ず一人のフィルターを通る。しかもその駐在員は三年か五年で入れ替わり、そのたびに情報の在庫はほぼリセットされる。本社のベトナム像が十年前で止まっているのは、更新のチャネルがそもそも細いからだ。誰かがサボっているわけではなく、そういう配線になっている。
そして、ここから先は統計のない、私の見立てになる。
ベトナム人は、答えを持っている
私の印象では、ベトナム人はいつも答えを持っている。ただ言わないだけだ。
隣の工場が実際にいくら出しているか。あの人がなぜ辞めたか、本当の理由は何か。求人がどのFacebookグループとZaloのどのアカウントに流れているか。今日の朝礼で日本人が言ったことを、みんながどう受け取ったか。全部知っている。聞けば出てくる。聞かなければ出てこない。
言わない理由を「国民性」で説明するのはやめたほうがいい。それをやると、また文化論に戻ってしまう。理由はもっと具体的なはずだ。
言っても採用されなかった経験がある。言った人が責任を負わされる構造がある。日本語に翻訳する手間と、翻訳したときに誤解される恐怖がある。日本人が先に結論を言ってしまう。会議が日本語で進む。反対意見を言うことが、この会社では何を意味するのか誰も明示していない。
どれも設計の問題であって、性格の問題ではない。それを引き出すのがマネジメントだと、私は思っている。
そして、話は採用に戻る。
実勢賃金も、辞めた本当の理由も、応募が来ない理由も、答えはすでに社内のベトナム人が持っている。それが上がってこない組織は、相場を知らないまま求人を出し、応募が来ないことを「ベトナム人は」で説明することになる。
愚痴は、情報が遮断されていることの症状だ。採用が下手なのではなく、自分の会社の中を流れる情報が細いから、外の市場の姿が見えていない。見えていないものについて語ろうとすれば、印象論と感情になる。
そう考えると、冒頭のあの人が笑った理由も分かる気がする。彼女はたぶん、答えを持っていた。そして、聞かれていなかった。
中国系と韓国系は、これを解いているのか
彼らはベトナム人の現地の知恵や情報を、活かしきれているのだろうか。
韓国系。現地化が進んでいるという証拠は見つからなかった。むしろ、日系企業の海外現地法人で日本人取締役の比率が高いことを論じる文脈で、韓国企業も同様に自国中心的な人材配置をしているという指摘がある。サムスンのような企業がベトナムで強いのは、現地化の結果というより、規模とブランドと生活インフラ(寮、シャトルバス、食堂)を長期間積み上げた結果と見るほうが妥当だろう。
中国系。中国語で検索すると、すぐ出てくる。「出海(海外進出)」した中国企業が「本地化(現地化)」で行き詰まっているという議論が、大量にある。管理層が中国人で固まる。文化リスクへの備えがない。現地社員に権限を渡せない。ベトナムで十年以上働いた中国人が書いた手記は、現地の部下に権限を与えて各部門の責任者に育てることの重要性を説いていた。
つまり、彼らも同じ問題を抱えていて、ほとんど同じことを言っている。愚痴を言っていないわけではない。日本語で言われていないから、私たちに聞こえていないだけだ。
それでも、違いは残ると思う。
彼らは、愚痴を言いながら、同時に動いている。現地化が難しいと嘆きながら、その週には一時金を積み、日曜に面接をやり、Zaloに求人を流している。悩みと行動が並行して走っている。
日系の会話は、そこで止まりやすい。ベトナム人は、若い世代は、日本の良さが。語り口が文化とマインドの話に流れていって、その日にやることが出てこない。ちなみに、金と速度で殴る中国系企業への愚痴もよく聞く。「そんなのやめて欲しいよ」と。
問題をどこに置くかの違いだと思う。文化の問題にした瞬間に、明日やることがなくなる。これが一番まずい。
解く単位は、国籍ではない
「日系だから採れない」でも「日系だけが甘えている」でもない。北部の逼迫した労働市場で、一部の日系企業が、賃金条件と採用スピードとチャネルとキャリアの見せ方を、市場の動きに連動させられていない。それだけのことだ。そしてその連動が起きない理由は、採用担当の能力ではなく、情報が組織の中を流れていないことにある。
だから、解く単位は国籍ではない。測れる変数に落とす。
応募数。連絡がついた率。面接に来た率。面接から内定までの日数。承諾率。入社30日と90日の定着率。チャネル別の一人当たり採用コスト。辞退した人と辞めた人に理由を聞いて、選択式で記録すること。
「ベトナム人はすぐ辞める」と言う前に、この数字を持っているかどうか。持っていないなら、それは市場の問題ではなく自社の問題だ。私自身、まだ全部は持っていない。
そして、たぶん一番効いて、一番安いのはこれだ。
社内のベトナム人に「どう思う?」と聞くこと。そして、最後まで聞くこと。
彼らは答えを持っている。近隣の相場も、辞めた理由も、応募が来ない理由も。持っていないのは、聞く側だ。



