はじめに
ベトナムで事業を行う日系企業にとって、税務調査は「来るかどうか」よりも 「いつ来るか」 を前提に備えておきたい対象だ。
日本の税務調査には、少なくとも建前上、「適正な申告を促す」という教育的な目的がある。しかしベトナムの税務当局については、日本にはない特徴が実務家の間で語られる。「追徴課税額のノルマ」 と呼ばれるものだ。各地方税務当局に調査件数や追徴額の目標が割り当てられている、という趣旨の説明を現地でよく聞く。ただし、それを裏づける公表資料は確認できていない。確かなのは、年度末に向けて調査の動きが活発になるという実務上の観測のほうだ。「うちはちゃんとやっているから大丈夫」——その安心感は、ベトナムでは命取りになりかねない。
この記事では、ベトナムの税務調査の仕組み、調査対象の選定基準、調査の実際のプロセス、そして指摘を受けやすいポイントと対策を体系的に解説する。
第1章 ベトナムの税務調査は2種類ある
Tax Examination(税務検査)とTax Inspection(税務査察)
ベトナムの税務調査は、規模と深度によって2種類に分かれる。以下に挙げる日数は、本記事の参照時点で確認した実務解説に基づくものだ。根拠となる条文は税務管理の法令とその下位規則にまたがるため、実際の手続きでは現行の条文で確認してほしい。
Tax Examination(Kiểm tra thuế / 税務検査) は、比較的小規模な調査だ。特定の税目(例えばVATだけ、CITだけ)や特定の期間に絞って行われ、実地調査期間は 10営業日(最大10営業日延長して合計20営業日)。管轄の地方税務署が実施する。
Tax Inspection(Thanh tra thuế / 税務査察) は、より大規模で包括的な調査だ。全税目・複数年度にわたり、企業の事業活動全体を精査する。実地調査期間は 30〜45営業日(最大25営業日延長して合計55〜70営業日)。省税務局や税務総局が実施する。
日本の税務調査で言えば、Examinationが「一般調査」、Inspectionが「特別調査」に近い。
| 項目 | 税務検査(Examination) | 税務査察(Inspection) |
|---|---|---|
| 実地調査期間 | 10営業日(最大20日) | 30〜45営業日(最大70日) |
| 対象範囲 | 特定の税目・期間 | 全税目・複数年度 |
| 実施主体 | 地方税務署 | 省税務局・税務総局 |
| 一般的な頻度 | 年1回以上の場合あり | 5年に1回程度 |
「5年ルール」と呼ばれるもの
実務では、設立後しばらく調査を受けていない企業 は調査対象リストに上がりやすいと言われ、その目安として「5年」が語られることが多い。ただし、そう定める公表基準を特定できたわけではない。最初の数年間に調査がなかったからといって、この先も来ないと考えないほうがいい、という程度に受け止めておきたい。
第2章 調査対象はどう選ばれるか
リスクベースの選定
ベトナム税務総局は Decision 970/QĐ-TCT に基づくリスクスコアリングで調査対象企業を選定している。リスクスコアが高い企業から順に調査対象リストに載る。
高リスクと判定される主な要因は以下の通りだ。
財務的な兆候:3年以上連続する赤字、営業利益率の急激な変動、VAT(付加価値税)の大口還付請求。
構造的なリスク:高額な関連当事者取引(移転価格リスク)、外資100%企業であること、設立後一定期間が経過していること。
コンプライアンスの問題:申告書の遅延提出、インボイスの不備、税務当局からの照会への回答遅延。
2025年の重点調査対象
2024年10月に発出された Dispatch 2220/TTCP-KHTH は、2025年の税務査察の方針を示しており、10の業種グループが重点調査対象として指定されている。石油ガス、電力、通信、銀行、保険、証券、不動産、建設、製薬、金銀宝石、エンターテインメントなどだ。
製造業は直接の重点対象リストには含まれていないが、FDI企業であること自体がリスク要因であり、特に2024年以前から赤字を報告している企業は調査対象になりやすい。
第3章 調査の実際のプロセス
調査通知から始まる
税務調査は、調査決定書(Quyết định kiểm tra / Quyết định thanh tra)の送付から始まる。この決定書は発行日から 3営業日以内 に企業に到達しなければならない。
決定書には、調査の目的、対象となる税目と期間、調査チームのメンバー、実地調査の開始日が記載される。企業はこの通知を受け取ってから実地調査開始までの短い期間で、書類の準備と社内体制の確認を行う必要がある。
実地調査の流れ
実地調査では、税務調査チームが企業を訪問し、以下の書類を精査する。
会計帳簿(総勘定元帳、仕訳帳、補助元帳)、税務申告書(CIT=法人所得税、VAT=付加価値税、PIT=個人所得税、FCT=外国契約者税の月次・四半期・年次)、インボイス(売上・仕入の電子インボイス)、契約書(売買、サービス、賃貸、ローン、ロイヤルティ)、銀行取引明細、移転価格文書、人事関連書類(雇用契約、給与台帳)、固定資産台帳、棚卸記録。
調査チームは企業の担当者に質問し、追加資料の提出を求めることもある。
調査結論と追徴課税
実地調査が終了すると、調査チームが報告書を作成し、企業に調査結論通知書が交付される。追徴税額がある場合は、ペナルティと延滞税を含む金額が記載される。
第4章 指摘されやすい典型的な問題点
インボイスの不備が最も多い
外資系企業が最も頻繁に指摘を受けるのは インボイス関連 だ。ベトナムでは電子インボイス(Hóa đơn điện tử)が税務管理の中心にある。インボイスの発行タイミングが遅い、記載事項に不備がある、仕入インボイスの真正性が確認できない——これらはすべて損金不算入やVAT控除否認の理由になる。
特に注意すべきは、取引先が発行した 不正インボイスを知らずに受領していた場合 でも、受領側企業にリスクが及ぶ点だ。仕入先の選定と取引の実在性確認は、自社のリスク管理として重要だ。
移転価格関連
外資系企業の特有のリスクとして、親会社との関連当事者取引に関する移転価格の指摘がある。No.11で詳述した通り、ロイヤルティの経済的便益の立証、管理料の実態確認、利子のEBITDA30%制限への抵触などが典型的な指摘事項だ。
損金算入の否認
ベトナムの税法では、費用を損金に算入するための要件が厳格だ。適正なインボイスがあること、銀行振込で支払っていること(VND 2,000万以上の取引)、事業目的であることの3つが基本要件だが、実務では「事業目的」の解釈をめぐって調査官と意見が分かれることが多い。
外国契約者税(FCT)の申告漏れ
海外の親会社やグループ会社に対するサービス料、ロイヤルティ、ライセンス料の支払いに係るFCTの未申告・過少申告は、外資系企業に共通する指摘事項だ。
第5章 追徴課税とペナルティ — 「日次0.03%」の恐怖
ペナルティの体系
ベトナムの税務ペナルティは Decree 125/2020/ND-CP に規定されており、違反の性質に応じて3段階に分かれる。
過少申告(意図なし):過少申告税額の 20% が追徴ペナルティ。
脱税・租税回避(意図あり):脱税額の 1〜3倍 の罰金。事実の隠蔽や仮装が認定された場合に適用される。
手続き違反:申告書の遅延提出はVND 200万〜2,500万、90日を超える申告遅延は脱税とみなされ1〜3倍の罰金が適用される可能性がある。
延滞税の自動累積
すべてのペナルティに加えて、追徴税額に対して 日次0.03% の延滞税が課される。年率に換算すると 約11% だ。この延滞税は、本来の納付期限から実際の納付日まで、土日祝日を含む毎日 自動的に積み上がる。
仮に追徴税額がVND 10億(約600万円)で、追徴の対象が2年前の申告分だとすると、延滞税だけでVND 2.19億(追徴額の約22%)になる。さらに過少申告ペナルティ20%(VND 2億)を加えると、追徴税額の1.4倍以上を支払うことになる。
不服申立ても延滞税は止まらない
日本では、不服申立てや訴訟中は税金の徴収が猶予される場合がある。しかしベトナムでは、不服申立て期間中も延滞税の計算は停止しない。つまり、追徴課税に異議がある場合でも、まず全額を支払った上で争い、勝訴した場合に還付を受けるという構造だ。不服申立てに時間がかかればかかるほど、延滞税は膨らみ続ける。
第6章 不服申立て — 「後から覆す」ことの難しさ
3段階の救済手続き
ベトナムの税務紛争の救済手続きは3段階ある。以下の期限も本記事の参照時点で確認した実務解説に基づくもので、根拠は不服申立てと行政訴訟の法令にまたがる。期限を過ぎると手続きそのものが使えなくなるので、実際に申し立てる場面では現行条文と弁護士の確認を通してほしい。
第1段階:1次不服申立て。調査結論通知書の受領後 90日以内 に、調査を実施した税務当局に不服申立てを行う。当局は30日以内(複雑な場合は45日延長)に回答する。しかし、自分で出した結論を自分で覆すケースはごく稀だ。
第2段階:2次不服申立て。1次の回答に不服がある場合、30日以内 に上級機関(通常はハノイの税務総局)に上申する。より中立的な判断が期待できるが、それでも納税者勝訴率は高くない。
第3段階:行政訴訟。2次の回答に不服がある場合、1年以内 に人民裁判所に行政訴訟を提起できる。最終手段だが、ベトナムの裁判所が税務当局の判断を覆すケースは限定的であり、訴訟コストと時間を考慮すると、実務的には調査段階での交渉が最も重要だ。
調査段階こそが「本番」
上記の構造を理解すると、ベトナムでは 調査段階での対応 がすべてだということがわかる。実地調査中に調査チームに対して丁寧に説明し、根拠資料を提示し、合理的な主張を行うこと。ここで不十分な対応をすると、後から覆すのは極めて困難だ。
だからこそ、調査対応には現地の税務アドバイザーに同席してもらいたい。自社の経理担当者だけで対応するのは、荷が重い。
日本との違い — 「日本の常識が通じない」ポイント
「ノルマ」があると言われる調査、ない調査
日本の国税局には「いくら追徴するか」の明示的なノルマはない。もちろん実績評価はあるが、「適正な申告を促す」という建前が機能している面がある。ベトナムでは、追徴課税額の目標が各地方税務当局に割り当てられていると実務家の間で語られ、年度末に向けて調査が集中するパターンも指摘される。制度として公表されたノルマが確認できるわけではないが、こうした話が絶えないこと自体が、日本人にとっては理解しにくい違いだろう。
不服申立ての実効性
日本では国税不服審判所が独立した第三者機関として機能し、相当数の案件で納税者に有利な裁決が出る。ベトナムの1次不服申立ては調査当局自身が審査するため、実質的に機能していない。日本の感覚で「不服申立てで覆せる」と考えていると、致命的な時間と資金のロスにつながる。
延滞税の累積速度
日本の延滞税は年率2.4%(2ヶ月以内)〜8.7%(2ヶ月超)とされるが(この割合は年ごとに変わるため、適用年の告示で確認してほしい)、ベトナムは日次0.03%(年率約11%)。しかも不服申立て中も止まらない。日本の感覚で「少し遅れても大した金額にはならない」と油断すると、想像以上の負担になる。
インボイス至上主義
日本では帳簿方式で仕入税額控除が認められるが、ベトナムでは電子インボイスがすべての出発点だ。インボイスに不備があれば、いかに実態のある取引であっても損金不算入・VAT控除否認になる。「取引の実態がある」ことよりも「正しいインボイスがある」ことが税務上の最優先事項である。
ここが変わった(2025〜2026年)
Dispatch 2220による2025年の調査強化
2024年10月に発出された Dispatch 2220 により、2025年は10業種グループへの重点調査が実施される。FDI企業のうち赤字を報告している企業への関心が特に高まっている。ベトナムではFDI企業の過半が赤字を計上しているという統計がたびたび報じられており、当局がこれを移転価格の問題意識と結びつけているとされる。ただし、この比率は発表主体と参照時点によって幅があるので、具体的な数字を引くときは元の発表にあたってほしい。
電子インボイスによるリアルタイム監視
電子インボイスの全面義務化に伴い、税務当局は企業の取引データをリアルタイムで監視する能力を強化している。従来は調査で初めて発覚していた不備が、申告段階で自動的に検出される方向に移行しつつある。
新税法の適合確認
CIT法2025やグローバル最低税(Decree 236/2025)の施行に伴い、これらの新制度への適合状況を確認するための調査が今後増加する可能性がある。
まとめ:やっておくべきこと
「税務調査はいつか来る」前提で準備する — 設立当初から帳簿・証憑・契約書を体系的に保管する
現地の税務アドバイザーとの顧問契約を設立時に締結する — 調査対応サポートを含む契約にする
インボイスの管理を最優先にする — 電子インボイスの発行タイミング、記載事項、保管を徹底する
移転価格文書を初年度から整備する — Master File、Local File、Appendix Iを毎年更新する
年次の自主税務レビューを実施する — 外部アドバイザーによる模擬税務調査で問題を事前に発見する
調査対応マニュアルを策定する — 窓口担当者、書類準備手順、調査官への対応方針を明文化する
経理・税務担当者を教育する — ベトナムの税務制度と調査対応の基礎知識を定期的に研修する
追徴課税への資金対応計画を立てておく — 不服申立て中も支払いが必要なため、予備資金を確保する
不服申立ての手続きを事前に理解しておく — 90日の期限、必要書類、上申のルートを把握する
日本本社に税務調査リスクを正確に伝える — 「ベトナムの税務調査は日本とは質が違う」ことを経営層に理解してもらう
参照時点と主要根拠法令
本記事は2026年3月時点の調査に基づいています。法令は改正されるため、実務の判断は現行の一次資料で確認してください。
主要根拠法令: Decree 125/2020/ND-CP(税務・インボイス違反に対する行政処罰)/Decision 970/QĐ-TCT(リスクベースの調査対象選定)/Dispatch 2220/TTCP-KHTH(2025年の重点調査分野)/CIT法2025/Decree 236/2025(グローバル最低税)



