先日、ある会計の資料を作ろうとしてAIに相談したことがある。なかなかよくできたファイルが出てきて、私は満足していた。以前の自分なら作れなかったものだ。
少しして、会計士の資格を持っている人が、同じようなものをAIで作ったのを見る機会があった。
別物だった。複雑なExcelをClaudeが作れるのはわかる。でも以前AIにこの数字とこの数字を連動させて計算できできないと言われてあきらめたことも含めて、各シートが連動しているExcelだった。明らかにClaudeで作った感じなのに、私には、どう頼んだらこういうものが出てくるのかが分からない。
同じAIを使っている。なのに、これだけ違う。違いはAIではなく、人間の側にある。
この問題は、会計資料だけではない。最近、AIを使えば使うほど、同じことが起きる。AIに記事を書かせる。Excelを作らせる。資料をまとめさせる。市場調査をさせる。コードを書かせる。以前なら自分にはできなかったものが、次々とできる。
ところが最後に、「で、これは本当にこれでいいのか?」という問題が残る。
そしてAIが優秀になるほど、ここが一番難しくなってきた。
AIは能力を「揃える」装置ではなかった
私は以前、AIを「能力の平準化装置」だと思っていた。文章が苦手でも記事が書ける。プログラムを書けなくてもアプリが作れる。Excelが苦手でも複雑な集計ができる。苦手な人を、得意な人に近づけてくれる機械。
それは確かにAIのすごいところだ。でも実際に使い込むほど、もう一つの顔が見えてくる。
AIは、平準化装置である以上に、増幅装置だ。
会計を知っている人は、AIを使ってさらに深い資料を作る。マーケティングを知っている人は、AIが出した大量の案から有望なものを素早く見つける。プログラムを理解している人は、AIが書いたコードの危ないところに気づく。もともと得意な人が、とんでもなく強くなる。
だから私は、「第二の脳を作る」とか「自分のAIコピーを作る」という流行りの話に、ずっと違和感があった。あれは凡人には向いていない。
理由は単純で、増幅装置だからだ。役立たずの脳を増幅しても、役立たずのままだ。凡人が第二の脳を作れば、凡人の脳が二つになる。私のコピーが10体いても、私が10人いるだけで、10人とも同じところでつまずく。
増やすべきなのは自分の複製ではない。問題は別のところにある。
苦手な人がAIを使うと、以前よりはるかに高度なものが作れてしまう。同時に、自分には評価できないものまで作れてしまう。
ここに、AI時代の少し変な問題がある。
一つ目の壁。AIの提案が正しいかどうか、分からない
AIについて、よくこう言われる。
AIに作業を任せ、人間は判断する。
一見、とても合理的だ。AIが情報を集め、分析し、案を出す。最後に人間が決める。AIは部下、人間は上司。
判断力のある人にとって、この形はものすごく強い。経験のある経営者なら、AIに新規事業案を50個出させても、「この客は金を払わない」「市場はあるが獲得コストが高すぎる」「これは法規制で詰まる」と切っていける。AIが調査量を100倍にすれば、その人の経験が100倍の範囲に届く。
では、その分野を知らない人が最後に判断したらどうなるか。
AIが10個の案を出してくる。その中に、自分には思いつかなかった有望な案が混ざっている。でも、よく分からない。すると「これはちょっと現実的じゃない気がする」と落としてしまう。逆に、自分が前から考えていた案にAIがもっともらしい理由をつけてくれると、「やっぱりこれだ」と採用する。
AIは広い世界を見せてくれているのに、最後に人間が、自分の狭い視野へ引き戻してしまう。
もっと厄介なのは、AIが人間より良い案を出していても、人間にはそれが分からない可能性があることだ。「別の客層に向けた方がいい」「あなたが重要だと思っている部分は、顧客にとって重要ではない」。その提案が正しかったとしても、評価する力がなければ「AIは分かっていない」と却下する。
会計資料のときの私が、まさにこれだった。それらしいファイルに満足して、その先にある本物の水準が見えていなかった。
AIが間違っているから困るのではない。
AIが正しいかもしれないのに、自分にはそれを見分けられない。
判断できない人間が最後に判断すれば、そこがシステム全体の性能上限になる。自分より専門知識のある部下を持った上司が、「もっと分かりやすく説明して」「今までのやり方でいいのでは」と、話を自分の理解できる範囲まで引き下げてしまうのと同じ構造だ。
AIが賢くなるほど、AIが自分より詳しい領域は増える。この問題は、これから大きくなる一方だ。
二つ目の壁。良いと分かっていても、動けない
しかも、問題は判断力だけではない。
AIが良い提案を出してくる。自分でも「これはたしかに試した方がいい」と思う。反論も思いつかない。
それでも、動かない。
「もう少し調べてからにしよう」「今出すにはまだ完成度が低い」「来月になったらやろう」。ああでもない、こうでもないと考えているうちに、時間だけが経つ。AIは30分で案を出したのに、人間は3か月動かない。
これは知識の問題ではない。恐怖の問題だ。
AIには恥がない。失敗しても落ち込まないし、「こんなものを出したのか」と人から思われる心配もない。人間にはそれがある。だから案の良し悪しとは関係のないところで、ブレーキがかかる。
そして私の場合、この恐怖はしばしば「品質へのこだわり」という顔をして現れる。
AIが80点のものを一日で出してくる。市場が求めているのは、たぶん70点だ。まず出して、反応を見て直せばいい。頭では分かっている。
それでも、95点になるまで出したくない。「この表現がまだ気になる」「もう少し機能を追加してから」。一見、丁寧に仕事をしているように見える。
でも正直に言えば、あとの15点を磨いているのは、顧客のためではない。自分の不安を減らすためだ。「まだ完成していない」と言っている間は、市場から評価されなくて済む。失敗は、まだ確定しない。磨くことが、出さない言い訳になっている。
AIがどれだけ高速化しても、ここが変わらなければ、世に出るものの数は増えない。ボトルネックは、またしても人間だ。
では、判断までAIに任せればいいのか
ここまで考えると、「だったら判断もAIにやらせればいい」となりそうだ。でも、それも怖い。
AIは普通に間違える。数字を読み違える。資料に書いていないことを勝手に補う。それらしい理屈を後付けする。一つのAIが「問題ありません」と言ったから問題ない、では危ない。
人間が判断してもダメ。AIに判断させてもダメ。どうするのか。
最近、私が面白いと思っているのは、「誰に判断させるか」ではなく、「どうやって正しさを確かめるか」を先に設計するという考え方だ。
言い換えると、人間の仕事を、「最終的に良し悪しを決めること」から、「間違っていたら発見できる仕組みを作ること」へ移す。
「これでいいか」を、自分の感覚だけで決めない
たとえば、ClaudeにExcelを作らせたとする。
これまでの私なら、ファイルを開いて、数字を眺めて、グラフを見て、何となくちゃんとしていそうなら「できた」としていた。でも、自分がExcelに詳しくなければ、それでは危ない。見た目がきれいでも、数式が一列ずれているかもしれない。一部だけ計算範囲から外れているかもしれない。入力値を変えると壊れるかもしれない。
だったら、眺めて判断するのではなく、チェック方法を先に決めておく。
元データの合計と結果が一致しているか。
いくつかの計算を、別の方法でも計算して同じ数字になるか。
空欄や異常値を入れても壊れないか。
数式が途中から変わっていないか。
そういうテストを、AI自身に実行させる。可能なら、Excelの計算結果とは別にPythonなどでも計算させて比較する。数字が一致すれば、「なんとなく正しそう」より、ずっと信頼できる。
記事も同じだ。AIが書いた記事を自分で読んで「まあ面白いかな」と決めるだけではなく、別のチェックをかける。
「この記事の主張を3つに整理し、それぞれ根拠が本文中にあるか確認せよ」
「筆者に好意的に読まず、論理が飛んでいるところだけ探せ」
「この記事に反対する読者になって、もっとも強い反論を3つ作れ」
「初めて読む人が意味を取り違えそうな部分を探せ」
そして、事実として確認できるものは、元資料に戻って確認する。
「複数のAIに聞く」は、多数決ではない
ここは少し重要だと思う。
たとえば3つのAIに「この契約書は大丈夫ですか?」と聞いて、3つとも「おおむね問題ありません」と答えたから大丈夫——これは、あまり意味がない。似た学習データを持つAIは、似た間違いをする。多数決を取っても、正解には近づかない。
私が考えているのは、少し違う。
最初のAIには「こちら側に最も不利な条項を探せ」と頼む。次のAIには「実際に紛争が起きたと仮定して、どの条項が問題になるかシナリオを作れ」と頼む。さらに別のAIには「最初のレビューで見落としている可能性のある論点だけを探せ」と頼む。そして重大な論点は、契約書の原文に戻る。必要なら、最後は専門家に確認する。
AIを賛成派と反対派に分けるというより、違う角度から壊しにいく。
一つの答えを信じるのではなく、間違っていたら、どこかのチェックで引っかかるようにする。AIを何人集めるかではなく、違う方法で同じものを検証することが重要になる。
正しさの確認方法は、仕事によって違う
そして、すべての仕事を同じ方法で検証することはできない。ここも大事なところだ。
Excelなら、数字の一致でかなり確認できる。プログラムなら、テストを実行できる。集計なら、元データと突き合わせられる。調査なら、原典を確認できる。契約書なら、複数の論点からレビューして、重要な部分だけ専門家へ上げられる。
では、記事はどうか。
文章に「正解」はない。論理矛盾や事実誤認はチェックできる。でも、「面白いか」「読みたいか」までは、AIだけでは決められない。そこでは、実際の読者の反応を見る。タイトルAとタイトルBを試して、どちらが開かれるかを見る。どこまで読まれたかを見る。コメントや保存を見る。ここで初めて、人間でもAIでもなく、読者の行動が検証装置になる。
新規事業なら、もっと分かりやすい。「この商品は売れると思いますか」とAIに聞き続けても、本当のところは分からない。だったら小さく出す。100人に見せる。クリックする人がいるか。問い合わせる人がいるか。本当に金を払う人がいるか。
商品について最も重要な問い——誰かが金を払うのか——については、市場そのものをテストに使う。
AI時代は「作る能力」より「検証する能力」で差がつくかもしれない
ここまで考えると、AI時代に必要な能力について、少し見方が変わってくる。
これまでは「AIに良い指示を出せる人が強い」と言われてきた。もちろん、それも重要だ。しかしAIそのものが賢くなれば、細かな指示の重要性は今より下がるかもしれない。「こんな資料を作って」だけでも、かなり良いものが出てくるようになる。
すると次に差がつくのは、その成果物が本当に正しいのかを確認できる人なのではないか。
さらに言えば、自分自身に確認能力がなくても、正しさを確認する仕組みを作れる人が強くなる。
これは、少し希望のある話でもある。
私は法律の専門家になる必要はない。Excelの全機能を覚える必要もない。プログラムを何万行も書ける必要もない。ただし、「どこが間違っていたら危ないのか」「何と照合すれば確認できるのか」「別の方法で計算できないか」「反対側から壊しにいけないか」「最終的には誰の行動を見れば分かるのか」という設計は必要になる。
人間の役割は、「最後に決める人」ではなくなる
これは、人間をAIから外す話ではない。人間の仕事が変わる話だ。
人間がやるべきなのは、すべての成果物に最後に「よし」と判子を押すことではない。
何を達成したいのかを決める。
どこまでの失敗なら許されるのかを決める。
何が起きたら危険なのかを決める。
どう検証するかを決める。
どこから先は専門家に渡すかを決める。
そして、取り返しのつかないことだけは止める。
人間は、「答えを全部知っている上司」でなくていい。検証の仕組みを設計する人になればいい。
こちらの方が、AIが自分より賢い領域が増えても成立する。
この仕組みは、恐怖にも効く
面白いことに、これは二つ目の壁にも効く。
記事なら、「もっと良くできる気がする」と延々直すのではなく、「この4項目のチェックを通ったら公開する」と先に決めておく。Excelなら「この5つのテストを通過したら完成」とする。商品なら「この状態までできたら、まず50人に見せる」と決めておく。
すると、出す瞬間に「本当に大丈夫かな」とゼロから判断し直さなくて済む。決めたのは過去の自分であって、今の自分ではない。事前に決めたチェックを通ったなら、次へ進むだけだ。恐怖が口を挟む隙間がない。
判断をAIに任せているわけでもなく、人間の勇気に依存しているわけでもない。手順に任せている。
迷わなくて済む検証工程を作ると、結果として、勇気が必要な場面そのものが減っていく。
「AIを使いこなす」の意味が変わってきた
これまで私は、「AIを使いこなす」とは、AIに何をさせるかを知ることだと思っていた。どういうプロンプトを書くか。どんなツールを使うか。何を自動化するか。
もちろん、それも大切だ。でもAI自身が賢くなるほど、そこでの差は縮んでいく。AIが作る能力は急激に上がっている。文章も作る。Excelも作る。コードも書く。分析も調査もする。事業案まで考える。
すると、最後に人間に残る問題は「それ、本当に合っているの?」になる。そしてその問いに毎回自分の知識だけで答えようとすると、AIの能力が、自分の能力のサイズまで縮んでしまう。
だから必要なのは、AIに何をさせるかだけではない。AIが作ったものを、どう検証するかまで設計すること。
AIに作らせる。別の方法で壊しにいく。数字なら計算し直す。事実なら原典へ戻る。文章なら反論させる。市場のことなら市場に出す。重大なことなら人間の専門家へ上げる。一つの答えを信じるのではなく、間違っていれば、どこかで発見できる仕組みを作る。
AIが優秀になるほど、「自分」がボトルネックになる。
でも、だからといって、自分がAIと同じだけ賢くなる必要はない。第二の脳を作って自分を増やす必要も、たぶんない。役割を変えればいい。何でも判断できる人になるのではなく、自分には判断できないものでも、正しさを確かめられる仕組みを作れる人になる。
会計資料を作れた気になっていた、あの日の私に足りなかったのは、もっと良いAIでも、もっと巧妙なプロンプトでもない。
自分が分からなくても、間違いを発見できる仕組みだった。
そして、これを実際に試している
ここまで書いたことは、頭の中の理屈だ。だから今、実際にやってみている。
AI Money Hunterという実験を始めた。私が事業アイデアを一切出さず、世の中のどこに「金になる問題」があるかをAI自身に探させて、知らない誰かから最初の1円を稼げるかを試す。私の好み、得意分野、「これは売れなさそう」という感覚を、選考基準から外す。
最初の探索で、AIは100件の問題を見つけてきた。私は「よし、できた」と思った。
でも、その成果物を別のAIに監査させたら、こう言われた。
「問題が存在するEvidenceは100件ありますが、人が金を払っているEvidenceは0件です」
自分では、それに気づけなかった。この記事に書いたことが、そのまま自分に返ってきた形だ。
次の記事から、この実験を成功する前から実況していく。今のところ、累計収益は0円だ。



