ある居酒屋の店先に、こんな貼り紙が出ていたという。「電話はつながりません」。
東京・下町のその店には、最近、AIから予約の電話がかかってくる。飲食店の予約を代行するサービスが、利用客の代わりに、自動音声で店に電話をかけてくるのだ。店主が仕込みの手を止め、手を洗って受話器を取ると、相手は機械の声。すぐ切る。作業に戻ると、また鳴る。報道によれば、このAIは「つながるまで」かけ続けるという。たまらず店主は、電話の音量をゼロにし、あの貼り紙を出した。しかも自分の店は、同意もないまま勝手にサイトへ掲載されていたらしい。
このニュースを見て、頭の片隅にぼんやりとあったイメージが、急に像を結んだ気がした。これは特殊なトラブルではなく、これから当たり前になる構図の、ほんの予告編に見えたのだ。
情報の量が、急に処理しきれなくなった
最近は生成AIをみんなが使うようになって、仕事で受け取る情報の量が、明らかに増えた。
まず、AIが書く文章は長い。Claudeのようなツールにファイルを作らせると、Excel一つとっても、シートがいくつも並んだ立派なものが出てくる。議事録も、契約書のレビューも、企画書も、頼めば一瞬で分厚くなる。しかもそれが一回きりじゃない。何度も、頻繁に、当たり前のように生成される。気づけば、生身の人間が目で追って理解できる量を、とっくに超えている。
自分が生成してもらったのは、何度かの壁打ちの果てにでてきたもので文脈も理解しているので、わかりやすい。しかし人が生成AIで生成した文章、ファイルは、そういうのがない上に無駄に長い。
だから結局、出てきたものをまたAIに入れて、「これ要するに何?」「どこが問題?」と解説してもらうことになる。AIが生んだ情報を、AIに処理してもらう。考えてみれば妙な構図だけれど、もうそうしないと回らない。生身のまま全部読んで理解しようとしたら、よほど頭のいい人でない限り、たぶん途中で力尽きる。
調べてみると、データのほうが先に、この感覚を裏づけてくれていた。
「立派に見えるが中身のない仕事」が人の時間を奪う
2025年9月、スタンフォード大学のソーシャルメディア・ラボとBetterUpという会社が、ハーバード・ビジネス・レビュー誌で「ワークスロップ(workslop)」という言葉を提唱した。AIが生んだ、見た目は立派だが中身の薄い成果物のことだ。スライドはきれい、レポートは分厚い、コードはそれらしい。ところが受け取った人間が中身を読むと、「で、結局これは何を前に進めたの?」と頭を抱えることになる。
1,150人のアメリカのデスクワーカーを調べたところ、41%が「直近1ヶ月でワークスロップを受け取った」と答えた。しかも一件あたり、後始末に平均1時間56分かかっている。金額に直すと、一人あたり月186ドル。1万人規模の会社なら、年間900万ドル以上が、AIの後始末で静かに溶けている計算になるという。
つまり、AIは仕事を速くした一方で、「誰かに押しつけられた、立派に見えるゴミ」を大量に生み、その処理という新しい仕事を生み出してもいる。情報を増やし、その情報を片づけるためにまたAIが要る。
AIを操る人間vs生身の人間
私がAIを操る人間vs生身の人間の非対称性を一番はっきり感じたのは、契約書のチェックだ。
人間がチェックしたときは、正直「ふーん、そういうものか」くらいで流してしまうところをAIに読ませると、弁護士も指摘しなかった見落としていた条項、こちらに不利な書き方、抜けている定義を、それこそ山のように指摘してくる。そのため、交渉がかなり長引いたし、AIが指摘してくれたことを理解するのもかなり頭が疲れた。
ここで本当に怖いのは、相手も同じことをしている可能性だ。契約の相手がAIを使いこなす人で、こちらが生身のままだったら、その契約は静かに相手有利に傾いていく。同じテーブルに着いて、対等に交渉しているつもりでも、実は片方だけが武装している。気づかないうちに、勝負はもう始まっている。
冒頭の居酒屋も、構図はまったく同じだ。片方はAIで武装して機械の速度で電話をかけ続け、もう片方は生身のまま、手を洗って受話器を取っていた。交渉のテーブルが見えるか見えないかの違いだけで、起きていることは変わらない。
イメージは、ガンダム
私の頭にあるのは、ガンダムのような、人間が乗り込んで能力を拡張するロボットだ。
そもそも、生身の人間とロボットでは勝負にならない。旧式で性能のよくないロボットでも、使い方さえ間違えなければ、生身の人間より正確に、速く、目的地までたどり着ける。
たとえば、契約書の台帳づくりみたいな仕事があるとする。何十通もの契約書から、相手方の名前、契約期間、自動更新の有無、金額、解約条項といった項目を一つずつ拾い出し、一覧表に落としていく作業だ。人間が手でやると、ひたすら地味で、目が滑り、転記ミスが出て、更新期限を一つ見落とせば後で大事になる。
これを、そこそこのAIに任せる。契約書を読み込ませて「この項目を表にして」と頼むだけで、何十分もかかっていた作業が数分で、しかも人間より粒度の揃った表になって出てくる。派手さはない。でも、こういう単純作業の自動化こそ、旧式のロボでも確実に生身に勝てる領域だ。最新機である必要すらない。
そして派手な使い方より、地味な使い方のほうが堅実に効く。これはデータとも一致する。MITが企業の生成AI導入を調べた2025年の報告では、ROIが目立つ営業やマーケティングに予算が偏る一方で、本当に効果の出やすいバックオフィスの自動化のほうが、むしろ投資が手薄だと指摘されている。台帳づくりのような地味な仕事は、いちばん静かに、いちばん確実にAIが効く場所なのだ。
もちろん、最新機ならもっと複雑な仕事もこなせる。スタンフォードとMITの研究者が5,000人以上のカスタマーサポート担当者を調べた研究では、AIを使えるようにしただけで解決件数が平均14%増え、その伸びは新人ほど大きかった(34%)。AIは新人をベテランに近づける「底上げ装置」として効いた。ハーバードとボストン・コンサルティング・グループが758人のコンサルタントで行った実験でも、AIが得意な範囲の仕事では、成果物の質が約40%上がっている。
旧式でも、単純作業なら確実に勝てる。最新機なら、複雑な仕事でも伸びる。だから、乗らないという選択は、それだけで不利を背負うということになる。
ただし、操作できなければ、最新機でも弱い
ところが、そう単純な話でもない。乗り方を間違えると、最新機でもかえって遅くなる。私もAIにまかせている間、ボーと待っていて、ほんの少しの変更で自分で修正すれば良いところもAIに伝えてまたボーっとAIの作業が終わるのを待っていたりする。AIを使って仕事が早くなったのか遅くなったのかよくわからない。
独立系の研究機関METRが2025年に行った、かなり厳密な実験がある。5年以上の経験を持つ開発者16人に、慣れ親しんだプロジェクトで実際の作業を246件こなしてもらい、AIを使う場合と使わない場合を無作為に振り分けて時間を測った。結果は意外なもので、AIを使ったほうが完了までの時間が平均19%延びた。さらに不気味なのは、当の開発者たちが「20%くらい速くなった」と感じていたことだ。遅くなっているのに、本人は速くなったと信じている。操縦が下手だと、自分の不調にすら気づけない。
ハーバードとBCGの研究は、別の角度から似た怖さを示している。AIが得意な領域と苦手な領域の境界線は「ギザギザのフロンティア(jagged frontier)」と呼べるほど入り組んでいて、見た目がよく似た作業でも、片方はAIで一気に片づき、もう片方は任せると逆に質が落ちる。フロンティアの外側では、人間の成果がむしろ約23%悪化したという。
たちが悪いのは、その失敗が見た目では分からないことだ。間違っていても、出力は立派に見える。先ほどのワークスロップと同じで、AIの出力は「それらしさ」だけは常に高い。だから見抜く力がないと、間違いに気づかないまま提出してしまう。
さらに同じ研究チームは、AIの誤った答えに人間が「それは違うのでは」と食い下がったときの挙動も分析した。するとAIは、自分の限界を認めるどころか、説得を強めてきた。いったん謝りながら結局は同じ結論を繰り返し、もっともらしい根拠やデータを足して、自分の主張を分析的に見せてくる。乗り手に判断力がないと、最新機に乗っていても、機体に言いくるめられて、あらぬ方向へ連れていかれる。
これは個人だけの問題ではない。先ほどのMITの報告は、もっと大きな数字も示している。企業が生成AIに投じた300〜400億ドルにもかかわらず、約95%の企業が測定可能な利益を出せずにいた。そして成功した5%との差は、AIの性能ではなく「使い方・組み込み方」で決まっていた、というのだ。
つまり、最新のロボットに乗っていても、操作を習得していなければ弱い。それどころか、強い機体ほど、暴走したときの被害は大きい。「いいツールを買えば安心」では、まったくない。
「全員ロボット」が前提の世界で、どこへ向かうか
ここまでを整理すると、ビジネスはもう、生身の人間同士が協力したり競争したりする世界ではなくなりつつある。全員がロボットに乗っている、というのが前提になっていく。どんな機体に乗り、どう操作し、どれだけ習熟し、どう設計するか。そこで差がつく。
ただし現実には、まだ全員が乗っているわけではない。アメリカの調査では、生成AIの利用率は1年で10ポイント上がって54.6%に達し、その普及スピードはパソコンやインターネットを上回っている。一方で、別の調査では約半数の人が「仕事ではAIを一度も使わない」と答えている。年収や学歴による差も大きく、年収5万ドル未満では16%、20万ドル超では66%という数字もある。
乗っている人と、乗っていない人。同じチームの中ですら、もう同じ土俵に立っていない。この差は、これから開く一方だろう。
では、私たちはどこへ向かえばいいのか。考えていることが、三つある。
一つ目は、「自分はもう戦場にいる」と認めること。 AIを使うかどうかは、もはや個人の趣味や好みの問題ではない。使わないという選択は、武装した相手の前に生身で立つという選択と、構造的には変わらない。まずはこの前提を飲み込むところからだと思う。
二つ目は、機体を選ぶことより、操縦を覚えること。 どれだけ高性能なAIでも、丸投げしてそのまま提出すれば、それは誰かに後始末させるワークスロップになる。先ほどのコンサルの研究では、賢い使い手は二つの型に分かれていた。仕事をAIと自分で明確に分担する「ケンタウロス型」と、常にAIと往復しながら進める「サイボーグ型」。型は違っても、共通点は一つだ。どちらも、ただ乗っているのではなく“設計”している。何を任せ、何を自分で判断し、どこで出力を疑うか。その線引きこそが、操縦技術そのものになる。
その操縦は、特別な才能ではなく、習慣で身につく部分が大きい。私自身がやっているのは単純なことだ。AIに任せた仕事は、必ず一度は「ここ、本当に合ってる?」と自分の専門知識で疑ってみる。台帳なら、出てきた表を元の契約書と一、二か所だけ突き合わせて、AIがどこで間違えやすいかを体で覚えておく。そうやって「この機体は、この地形でよく転ぶ」という癖を掴んでいく。乗りこなすとは、要するに、信じる場所と疑う場所を自分の中に地図として持つことだ。
三つ目は、人間に残る部分に時間を使うこと。 皮肉なことに、AIが情報を無限に生むほど、価値は「生み出すこと」から「選び、見抜き、整えること」へ移っていく。書く力より、出てきたものの良し悪しを判断する力。作る速さより、何を作らせるかを決める設計の力。ある調査では、AIの研修のためなら給料の1割超を手放してもいい、と考える人さえいた。それくらい、操縦技術そのものが、これからの資産になり始めている。
壁打ちだけでなく、「業務を設計する」へ
いまの私は、AIとの壁打ち——対話しながら考えを整理し、文章や企画を練る作業——に、かなりの時間を使っている。それ自体は大事だし、頭も鍛えられる。ただ、本当に効いてくるのはその先だと思う。壁打ちで見つけた良いやり方を、そのつど指示し直すのをやめて、自動化のかたちに落とし込むことだ。
自動化のやり方は、一つではない。古くからあるのは、コードを書く方法だ。ExcelのVBAでマクロを組み、Google Apps Script(GAS)でスプレッドシートやGmailの処理をつないでおく。決まりきった作業を、一度書けば勝手に回るようにしておく手は、昔から一部の人が使ってきた。ただそこには、「プログラミングを覚える」という、それなりに高い壁があった。
いま起きているのは、その壁が一気に下がっていることだ。コードはClaude CoworkやSkill、GPTsのような仕組みを使えば、コードを書かなくても、自分の仕事の手順を言葉で説明して、AIの側に組み込んでおける。一度きちんと設計してしまえば、毎回ゼロから指示しなくても、同じ品質で動いてくれる。これは、その場で機体を操縦するのとは少し違う作業だ。機体そのものを、自分の仕事に合わせて作り変えている。
思えば、いまは誰もがExcelを使い、どんなシートを作り、どんな表で数字を流すかを、自分で設計している。少し前まで一部の人の特殊技能だったものが、今では当たり前の事務スキルになった。同じことが、もう一段上で起きるのだと思う。これからは「AIで業務そのものを設計する」ことが、表を組むのと同じくらい当たり前のスキルになっていく。セルに数式やマクロを仕込むように、仕事の流れそのものに手順を埋め込んでいく。
壁打ちが「操縦」なら、業務設計は「自分の機体に手を入れること」だ。本当に乗りこなす人は、与えられた機体に乗るだけでなく、いずれ自分でカスタムし始める。
いっそ、AI同士にやらせればいい?
ここまで読んで、こう思った人もいるはずだ。人間が間に挟まるから大変なのであって、いっそAI同士にやらせればいい、と。
冒頭の居酒屋の一件は、実はその一歩手前で起きている。専門家が指摘していたのは、片方がAIで、もう片方が生身だと、噛み合わずに失敗するということだった。客は「予約できた」と思い込み、店は「知らない番号だ」と切る。予約は完結しない。ならば店側も受付AIを持てばいい——確かに、それで電話の応酬はAI同士で片づくだろう。
ただ、正直に言えば、それで問題が消えるわけではない。問題が一段、上にずれるだけだ。機械同士が機械の速度でやり取りを始めれば、今度は「誰も見ていないところで暴走しても、誰も気づかない」という別の怖さが生まれる。フロンティアの外側で、出力が立派なまま静かに質を落としていく、あの話と同じ構図だ。
だから本当の分かれ目は、「AIにやらせるか、人がやるか」ではない。やり取りのルールを、誰が先に決めるかだ。どんな相手の、どんな自動化を、どこまで受け入れるのか。何を機械に任せ、何は必ず人間の目を通すのか。その線を引く側に回れるかどうか。居酒屋の店主が最後にやったのも、つきつめれば、このルール設定だった——「音量をゼロにする」という、いちばん不器用な形ではあったけれど。
そして、ここで最初の問いに戻ってくる。AIが生む量が多すぎて、人間には全部は確認できない。これは、もう動かせない前提だ。だとすれば、やることは一つしかない。全部を見るのをあきらめて、「どこを見るか」を選ぶことだ。
店主の「音量ゼロ」は、確認を雑に絞った例だった。来るものを全部、まとめて無視した。上手な操縦は、それを賢くやる。絞り込む基準は、たぶん二つでいい。取り返しのつかないところ、損が大きいところ。それから、AIが弱いと分かっているところ——あのギザギザの境目だ。そこだけは人間がしっかり目を通し、あとは流す。台帳を全部は見ず、一、二か所だけ突き合わせる、というあの話の、一般形である。
全部を確認しようとするから、潰れる。何を確認しないかを決められる人が、生き残る。
乗っているのは、最後まで人間
ガンダムの比喩のいいところは、どれだけ機体が高性能でも、最後まで「乗っているのは人間」だという点だ。乗り手の判断や勘がなければ、そもそも機体は動かない。
だからこの話は、絶望で終わらせなくていいと思っている。人間が要らなくなるのではない。役割が、「手で処理する人」から「操縦し、設計する人」へ移っていくだけだ。価値の置きどころが、静かにずれていく。
突き詰めれば、人間に最後まで残るのは、場を整える仕事なのだと思う。どんな機体を選び、どこを機械に任せ、どこに人間の目を置き、どんなやり取りを許すのか。情報の濁流そのものは、もう人間の手では止められない。でも、その流れをどう受け、どこにせきを作るかは、まだこちらが決められる。AIに溺れる人と、AIを乗りこなす人を分けるのは、たぶん能力ではなく、この「場を決めているかどうか」だ。
当たり前のことを言っている、という自覚はある。でも、その「当たり前」の手触りが、最近になって急にリアルになった。情報がここまで増えると、生身のままでいることが、もう無理筋なのだと、肌で感じるようになったのだ。
だからときどき、立ち止まって点検しておきたい。自分はいま、どのロボットに乗っているのか。それを、どれだけ操れているのか。そして、自分のまわりの場を、誰かに勝手に決められてしまっていないか。気づいたら生身のまま、他人の設計した戦場のど真ん中に立っていた――そんなことにだけは、ならないように。



