メールを開くたびに思う。この往復、両方AIなら要らないのでは

よく似た二つの会社がある。

扱っている製品も、売上規模も、社員数もほとんど同じだ。どちらもAIへの対応は早かった。全社員にAIツールを配り、メール、議事録、報告書、PowerPointの作成に使わせた。

数年後の、ある月曜日の朝を想像してみる。

同じAIを導入した2社の数年後:78通のメールvs2件の要決定事項

一社目の管理職がパソコンを開くと、未読メールが78通あった。

ただし、昔ほど困らない。

AIが重要なメールを選び、長い文章を要約してくれる。部下から届いた月次報告も、三分で読める長さにまとめてくれる。返信文もAIが下書きしてくれるので、以前よりずっと速く処理できる。

それでも午前中は、メールと資料の確認で終わる。

もう一社の管理職が朝開くのは、受信箱ではない。

一枚の画面に、こう表示されている。

「今週の要決定事項:2件」

「要注意事項:3件」

「自動処理済み:47件」

納期の照会、在庫の確認、部門間の数字の突き合わせ、定型的な承認は、すでに処理されている。

人間が見るのは、正解がまだ決まっていないことだけだ。

二社のAIに、性能差はない

二社が使っているAIに、大きな性能差があるわけではない。

一社目は、これまで人間がしてきた仕事をAIで速くした。

二社目は、なぜそのメールが必要なのか、なぜその報告書を作るのか、なぜその承認を取るのかを問い直し、仕事そのものを消していった。

どちらが正しかったのか、まだ結果は出ていない。

だが、分岐はすでに始まっている。

AIを配った会社と、AIを前提に組織を作り直した会社。

この二つは、同じ未来には向かっていない。

私のメール仕事は、二つの作業でできている

先週、自分の受信箱の社内メールを眺めながら、私はそんなことを考えた。

届いたメールに返信するとき、私は何をしているのだろう。

大半は大きく分ければ、下記の二つしかない。

一つは、過去のメールやファイルを掘り返すことだ。

「あの件、どうなっていますか」

そう聞かれて、数か月前のやり取りを検索する。添付ファイルを探す。数字や経緯を拾い、要点を貼り付けて返す。

もう一つは、見つけた情報を組み合わせ、新しい形に整えることだ。

各部門の数字を集めて月次報告を作る。契約書と社内規程と過去の事例を突き合わせて稟議書を書く。現地で起きていることを、本社が理解しやすい説明資料に変える。

ゼロから何かを生み出しているわけではない。

すでにどこかにある情報を探し、組み合わせ、相手が読める形式にして返している。

両方AIなら、この往復は要るのか

そして今、私はその作業を多くの人がAIにやらせ始めている。

届くメールや資料にも、明らかにAIで書かれた本文や資料であることが増えた。

送る側がAIで文章を膨らませ、受け取った側がAIで要約する。人間は、AIっぽすぎる表現を少し直したり、無駄に分厚くなった資料を削ったりする。

そこで疑問が湧く。

送る側も受ける側もAIなら、AI同士にやりとりさせたら?いや、相手も私も同じAI会社のAIを使っているのだったら、この往復そのものが要らないのではないか。

つまり、私はいらないのでは?という気持ちになった。

「返信が速くなる」ではなく「聞く必要がなくなる」

AIがメール仕事を変えるというとき、多くの人は「返信が速く書けるようになる」を想像する。冒頭の一社目がやったことだ。だが、それは途中経過にすぎないと思う。

そもそも「あの件どうなってますか」というメールがなぜ存在するのか。組織の情報が、個人の受信箱と個人の記憶に分散して閉じているからだ。正解がどこにあるか分からないから、知っていそうな人に聞くしかない。

もし送り手と受け手の双方のAIが同じ情報にアクセスできるなら、聞く前に自分で引ける。到達点は「AIが返信を書いてくれる」ではなく、「そもそも聞かなくてよくなる」だ。二社目が向かった先はこちらだ。

似たことは過去にも起きている。昔は在庫を電話で問い合わせる仕事があった。在庫システムがそれを消した。発注書をファックスで送り合う仕事があった。EDIがそれを消した。メールが効率化されたのではなく、やり取りという形式ごと消えた。AIは同じことを、定型業務の外側、つまり私がやっているような非定型の事務仕事に広げるだけ、という見方ができる。

ただし、AIは在庫システムより性質が悪い

ここで一つ。在庫システムとAIは、決定的に違う。

在庫システムが問い合わせを消せたのは、あれが便利なツールだったからではない。「在庫の正解はシステムにある。電話で聞くな」とルートを一本に絞る仕組みだったからだ。技術ではなく、ルール変更が本体だった。

AIは逆だ。既存のやり方の上に乗るだけで、メールを書くことを禁止しない。むしろ書きやすくする。一通あたりの作成コストが下がれば、やり取りは増える方向に働く。実際、いま起きているのは削減ではなく増量だ。AIで量産された分厚い資料が届き、それをAIで要約して読む。送り手のAIが意図を膨らませ、受け手のAIが圧縮する。二回変換される伝言ゲームだ。最初から人間が三行書いたほうが正確かもしれない。

考えてみれば、メールもPowerPointも長い報告書も、人間が読むために発達した形式だ。AI同士のやり取りに、その形式は要らない。遅延は何日か。原因は何か。影響はどの顧客の何個か。推奨対応は何で、追加費用はいくらか。構造化された数行のデータを渡せば足りる。いま起きている「AIが書いた長文をAIが要約して読む」という現象は、人間の時代の形式をAIが律儀に模倣しているだけの、過渡期の滑稽な光景なのだと思う。

つまり、在庫システムは放っておいても問い合わせを減らしたが、AIは放っておくと往復を増やす。減らすには、誰かが意図的にルートを閉じる必要がある。「この件の正解はここにある。そこを見ろ。人に聞くな」と決める作業だ。

冒頭の二社を分けたのは、これだと思っている。一社目はツールを配り、既存の往復を速くした。だから文書の量はむしろ増え、人間はAIが量産したものを検証する係になった。実質、AIの後始末係だ。二社目は、正解の置き場所を決め、人に聞くという経路を閉じた。だから往復ごと消えた。

分岐の条件は、AI導入の巧拙ではない。組織がルールと権限を書き換えられるかどうかだ。

必要な技術はすでにある:決めた会社だけが、明日から動き出せる。浮いた人間を、人間にしかできない場所に注ぎ込んでくる。顧客の前に。現場に。

そして、これは二十年後の話ではない。

二社目に必要な技術は、すでに全部ある。情報の正本化も、AIによる異常検知も、定型承認の自動化も、やろうと思えば今日からでも始められる。障壁が技術ではなく組織の意思だという事実は、安心材料ではない。逆だ。技術が障壁なら、できるようになるまで全員が待たされる。意思が障壁なら、決めた会社だけが明日から動き出せる。

もし競合が先にそれをやったらどうなるか。管理コストで差がつくのは当然として、本当に怖いのはそこではない。相手は浮いた人間を、人間にしかできない場所に注ぎ込んでくる。顧客の前に。現場に。新しい事業に。こちらがメールの往復と資料の検証に溶かしている人時を、向こうは全部前線に回している。同じ人数で、戦力が違う。価格や品質の差なら追い方があるが、この差は追う手段が思いつかない。

もちろん、効率化した会社が必ず勝つと歴史が証明しているわけではない。ただ、過去の技術と違うのは、始めるコストの低さと速さだ。分岐が始まってから差が見えるまでの時間は、これまでよりずっと短いはずだ。

閉じられない本当の理由

では、なぜ多くの組織はルートを閉じられないのか。

一つは、情報が正本化されていないからだ。正解がどこにあるか誰も断言できない状態では、結局その件に詳しい人に聞くしかない。これは属人化の問題で、地道に潰していくしかない。

だが、もう一つのほうが本丸だと思う。

「一応メールで聞いておく」という行動は、情報を得るためにやっているのではない。責任を分散するためにやっている。後で問題になったとき、「確認しました」という記録が自分を守る。だからAIをいくら賢くしても、この確認メールは消えない。情報の問題ではないからだ。

私は、こういう確認をする人がいない組織のほうがよいと思っている。

ただし、これを「そういう人が悪い」という話にしたくはない。聞かずに判断して外したときに責められる組織では、聞いておくのが合理的な行動になる。その人を排除しても、次に同じ席に座った人が同じことをする。性格の問題ではなく、制度の産物だ。

情報を得るための確認。これは正本があれば消せる。間違いを見つけるための確認。これは残すべきだ。図面や送金のダブルチェックそのものに価値がある領域は実在する。責任を移すための確認。消すべきなのはこれだ。

そして消すために必要なのは、確認を禁止することではない。「聞かずに決めて外しても、決めた人を責めない」と明文化することだ。免責のないまま確認だけ禁止すれば、人は動けなくなる。ここを飛ばした効率化の議論が多すぎる。

AI前提の組織は、今の形をしていない

ここまで来ると、もっと大きな問いに突き当たる。やり取りが消え、作成が消え、責任のための確認だけが残るなら、組織の形そのものが今と同じであるはずがない。

考えてみれば、今の組織のピラミッドは、人間の認知の限界の産物だ。一人の上司が直接見られる部下はせいぜい数人だから、階層が要る。情報は人を経由しないと流れないから、伝達と集約を担う中間管理職が要る。一人が全分野の専門知識を持てないから、部署が分かれている。

AI前提だと、この前提が三つとも崩れる。伝達と集約はAIがやる。専門知識はAIが横断的に持つ。すると理屈の上では、残るのは「判断する少数の人間+実行するAI群+現場」という、極端に平たい構造だ。

未来の組織は、こうなるのではないかと考えている。情報の流れはAIによって限りなく平たくなり、責任の構造だけが、人間の階層として残る。組織図は二枚になる。一枚は情報の地図で、そこに人間はほとんど登場しない。もう一枚は責任の地図で、そこには今より少ない人間の名前が載っている。

後始末係になるか、決める側になるか

「AIは仕事を奪うか」という問いは、もう擦り切れている。ここまで考えてきて、問いの形が変わった。

あの月曜日の朝、78通のメールを開く側に立つのか。2件の決定事項だけを見る側に立つのか。

やり取りを閉じられない組織では、人間はAIが量産した文書の後始末係になる。閉じられた組織では、人間の仕事は判断と責任だけに純化する。ただしそれは、判断できる人しか要らなくなるという意味でもある。

ただ、これができるのは経営者が相当な覚悟と行動力とAI知識を持っている場合に限られると思う。すでに多くの社員がいる会社ではAIの数や能力を増やしても1社目の78通のメールの会社になるのが普通だと思う。対して、今まだ小さい会社やこれからこういうことを前提に起業する会社は、2社目のような構造をつくりやすい。社内で仕事がなくなるなくならないというのと同様に、どんな業界でも未だかつてない下剋上の戦国時代に突入しそうな気がする。