実績が1台もない製品を、どう見積もるか ── 定性的予測と学習曲線
この回で分かること
- デルファイ法・専門家パネル・販売部門の積み上げ・市場調査・類推法を、向く場面と弱点で使い分けられる
- 累積平均時間の学習曲線モデルで、生産量が倍になるたびの累積平均時間と累積総時間を計算できる
- 累積平均時間と増分時間の違いを説明し、追加受注の見積りにどちらを使うかを判断できる
データが無いときに誰へ聞くか、作るたびに速くなることをどう数字にするか
前回までの予測は、過去の実績を並べて線を引く話でした。ところが現場で見積りを求められるのは、たいてい実績が1件も無いものです。作ったことのない製品、入ったことのない市場、雇ったことのない人数。線を引く材料そのものが無いところで、それでも数字を出さなければならない。今日はその場面の道具を2つ扱います。
会議室で起きたこと
ASTRA Manufacturing に、再生可能エネルギー機器の Evergreen Energy から新型パワーコンディショナーの引き合いが来た場面です。先方の技術購買担当はアニカ。ケンが見積りの下書きをリンに見せています。
ケン: リンさん、Evergreen のアニカさんから8台の引き合いが来ました。回帰分析で見積りを出してみたんですが。
リン: 回帰の材料は何を使ったの?
ケン: 過去3年の、うちの既存モデルの組立時間です。生産量を説明変数にして。
リン: 既存モデルと今回の新型は、工程が同じ?
ケン: ……違います。基板の実装が2工程増えて、検査も新しい治具が要ります。
リン: なら、その回帰式が説明しているのは「昔の製品の昔の工程」なの。定量的な予測は、過去が将来を代表しているという前提の上に立っている。前提が崩れた場所に持ち込むと、きれいな数字が出てくるぶん、かえって危ないわ。
ケン: では、どうすれば。実績はゼロなんです。
リン: 実績が無いときは、データではなく人に聞く。工程を設計した技術者、似た機種を組んだ班長、Evergreen の使い方を知っている営業。それぞれが持っている見立てを集めて、束ねる手順そのものを設計するの。これが定性的手法(qualitative methods)ね。
ケン: 会議で聞けばいいということですか。
リン: 会議室に集めて挙手させると、いちばん役職の高い人の数字にみんなが寄っていく。それを避けるために、匿名で書かせて、集計を返して、もう一度書かせる。デルファイ法(Delphi technique)はそのための手順よ。
ケン: 手順で人の癖を打ち消す、と。
リン: それともう1つ。試作1台目に400時間かかったからといって、8台で3,200時間にはならない。同じものを繰り返し作ると、1台あたりの時間は下がっていくの。その下がり方に形を与えるのが学習曲線(learning curve)。今日はこの2つを持ち帰って。
この場面で出てくる英語
| English | 意味 |
|---|---|
| qualitative forecasting | 定性的予測。判断や意見にもとづく予測 |
| Delphi technique | デルファイ法。匿名の複数ラウンドで専門家の意見を収束させる手法 |
| panel consensus | 専門家パネルによる合意形成 |
| sales force composite | 販売部門の見積りを積み上げる方法 |
| historical analogy | 類推法。似た製品の過去の実績を当てはめる |
| learning curve | 学習曲線 |
| cumulative average time | 累積平均時間 |
| steady state | 定常状態。学習の効果が頭打ちになった状態 |
| rule of thumb | 経験則、目安 |
今日おさえる3つ
- 定性的手法は「過去が将来を代表しない場面」の道具 ── 誰に、どんな順番で聞くかを設計する
- 学習曲線(累積平均時間モデル)は、生産量が倍になるたびに累積平均時間が学習率の分だけ下がる
- 累積平均と増分は別物 ── 追加受注の見積りに使うのは、累積総時間の差である増分時間
過去のデータが使えないとき、誰に聞くか
定量的手法(quantitative methods)は、過去のデータが将来の姿を代表しているという前提で動きます。この前提が崩れる場面が、実務にはいくつもあります。
- 新製品・新工程で、実績データがそもそも存在しない
- 規制や技術が変わり、過去の期間と将来の期間が別の世界になった
- データはあるが期間が短すぎる、あるいは異常値だらけで傾向が読めない
- 予測の対象が金額ではなく、採用の可否や参入時期といった出来事である
こういう場面では、人の判断を材料にします。ただし「詳しい人に聞く」だけでは手法になりません。誰に聞くか、どう聞くか、どう束ねるかを決めて初めて、繰り返して使える予測になります。
| 手法 | 誰に聞くか | 向く場面 | 弱点 |
|---|---|---|---|
| デルファイ法Delphi Technique | 社内外の専門家(匿名) | 長期の技術動向、需要の転換点 | 時間がかかる。回答者の脱落で偏る |
| 専門家パネルPanel Consensus / Jury of Executive Opinion | 経営幹部や専門家が対面で合議 | 短時間で方向を決めたいとき | 役職や声の大きさに引きずられる |
| 販売部門の積み上げSales Force Composite | 営業担当者ひとりひとり | 既存顧客・既存製品の短期予測 | 予算やノルマとの利害が入り、低めに出やすい |
| 市場調査Market Research | 見込み客・既存客 | 新製品の受容性、価格帯の探り | 費用と時間がかかる。回答と実際の購買は別 |
| 類推法Historical Analogy | (データ)似た製品の過去の推移 | 後継機種や、他地域で先行した製品 | 似ていると判断した根拠が甘いと全体が狂う |
デルファイ法は「手順」でバイアスを消しにいく
デルファイ法の中身は、専門知識そのものより手順に特徴があります。
- 専門家を選び、互いに誰が参加しているかを知らせずに、個別に質問票を送る
- 回答を集計し、分布と主な理由を匿名のまま全員に返す
- 同じ質問にもう一度答えてもらう。前回と違う数字を出してもよい
- 回答のばらつきが十分に狭くなるまで、2〜3ラウンド繰り返す
匿名にするのは、肩書きへの遠慮と、一度言った意見を引っ込めにくい心理を切り離すためです。集計を返すのは、他人の理由を読んで自分の見立てを修正する機会を作るためです。時間と手間はかかるので、来月の受注予測のような短いサイクルには向きません。数年先の技術や市場の転換を読むときに使われます。
集めた意見には、方向のある癖がつく
定性的手法の弱点は、誤差がランダムに散らないことです。癖に方向があります。
| バイアス | どこで起きるか | 効きやすい方向 |
|---|---|---|
| アンカリングAnchoring | 最初に出た数字が議論の基準になる | 初期値の近くに固まる |
| 権威への同調Dominant Personality | 対面のパネルで役職者が先に発言する | その人の数字に収束する |
| 利害の混入Incentive Bias | 予測がそのまま自分の目標になる立場 | 達成しやすい低めの数字 |
| 直近の印象Recency | 先月の大口失注などが記憶に新しい | 直近の出来事を過大に織り込む |
手法の選択は、このバイアスのどれを一番警戒するかで決まります。営業に積み上げさせるなら利害の混入を、対面のパネルなら権威への同調を、それぞれ別の仕掛けで抑える必要があります。
定量と定性は、二者択一ではない
実務では両方を重ねます。定量的手法で骨格を出し、定性的手法で前提の変化を補正する。逆に、定性的手法で立てた見立てを、似た製品の実績データで検算する。どちらか一方だけで押し切るより、出てきた数字が食い違ったときに、その食い違いの理由を説明できる状態のほうが、予算の議論には役立ちます。
作るたびに速くなることを、数字にする
新型機の試作1台目に400時間かかったとします。8台の見積りを 400 × 8 = 3,200時間 とするのは、たいていの組立工程では過大です。同じ作業を繰り返すと、手順が身につき、段取りが整理され、不良のやり直しが減っていきます。この「繰り返すほど1台あたりの時間が減る」現象を、一定の形にしたものが学習曲線です。
累積平均時間モデル(Cumulative Average-Time Model)
CMAでよく問われるのはこの形です。定義は1行です。
累積生産量が倍になるたびに、それまでの累積平均時間が学習率(learning rate)の分だけになる。
学習率80%の学習曲線なら、累積生産量が倍になった時点の累積平均時間は、直前の倍加点の累積平均時間の80%です。1台目が400時間なら、次のようになります。
| 累積生産量 | 累積平均時間 | 計算 | 累積総時間 |
|---|---|---|---|
| 1台 | 400 | 出発点 | 400 |
| 2台 | 320 | 400 × 80% | 640 |
| 4台 | 256 | 320 × 80% | 1,024 |
| 8台 | 204.8 | 256 × 80% | 1,638.4 |
| 16台 | 163.84 | 204.8 × 80% | 2,621.44 |
累積総時間は「累積平均時間 × 累積生産量」で出します。8台の見積りは 204.8 × 8 = 1,638.4時間。1台目の8倍である3,200時間の、およそ半分です。
「80%学習曲線」は「20%速くなる」ではない
ここは取り違えの多いところです。80%学習曲線が言っているのは、倍加点で累積平均時間が元の80%の水準になるということです。1台作るごとに20%ずつ速くなるという意味ではありません。学習率の数字が小さいほど学習の効果は大きく、90%の曲線より80%の曲線のほうが時間の減り方は急になります。
また、この式が素直に使えるのは累積生産量が倍になる点(1・2・4・8・16台)だけです。3台や5台のような倍加点でない数量を扱うには、対数を使った一般式が要ります。試験でも実務でも、まず倍加点で骨格をつかむのが早道です。
累積平均と増分は、別の数字
累積平均時間は「ここまでの全部をならした1台あたり」です。これから作る追加分1台あたりではありません。追加受注の見積りに使うのは、累積総時間の差である増分時間(incremental time)です。
| 区間 | その区間の時間 | 計算 | 区間の1台あたり |
|---|---|---|---|
| 1台目 | 400 | — | 400 |
| 2台目 | 240 | 640 − 400 | 240 |
| 3〜4台目 | 384 | 1,024 − 640 | 192 |
| 5〜8台目 | 614.4 | 1,638.4 − 1,024 | 153.6 |
4台を納めたあとに Evergreen から追加4台を頼まれたら、見積りに使うのは 8台の累積平均 204.8時間ではなく、5〜8台目の増分 614.4時間です。累積平均で4台分を計算すると 204.8 × 4 = 819.2時間となり、実際より2割ほど大きく見積もることになります。
なお、倍加点ごとに一定率で下がるのを増分単位時間のほうに当てはめるモデル(incremental unit-time model)も存在します。同じ学習率でも累積平均時間モデルとは答えが変わるため、問題文がどちらのモデルを指しているかを読み分けてください。この教材では、指定がないかぎり累積平均時間モデルを使います。
学習曲線が効く場面、効かない場面
| 効きやすい | 効きにくい |
|---|---|
| 人手の比重が高い組立・検査工程 | 自動化・機械律速の工程(速度は設備が決める) |
| 同じ作業の反復がある | 一品ごとに段取りが変わる仕事 |
| 立ち上げ直後の、まだ慣れていない工程 | すでに何年も流している成熟した工程 |
| 作業者が定着している | 離職や配置換えが多く、学習が積み上がらない |
学習の効果は永久には続きません。ある水準まで下がると、そこから先は大きく減らなくなります。これを定常状態(steady state)と呼びます。定常状態を無視して曲線を延長し続けると、いくらでも時間が減っていく見積りができあがってしまうので、どこで頭打ちにするかを工程の担当者に確かめておくのが安全です。
学習曲線が使われるのは、時間の予測そのものよりも、その先にある判断です。入札価格をいくらにするか、標準原価をいつ改定するか、要員を何人配置するか。第2部では、Evergreen 向け8台の見積りを、この曲線から実際に組み立てます。
この教材に登場する企業(ASTRA Manufacturing・Evergreen Energy)と人物(ケン・リン・アニカ)、および金額はすべて架空です。
特定の国の法令には依拠しない、一般的な会計の考え方を扱います(初版 2026年8月)