部門から集めた数字を足したら、利益が消えていた ── 予算はどうやって組み上がるのか
この回で分かること
- マスターバジェットを構成する予算を、作る順番どおりに並べられる
- トップダウン・ボトムアップ・参加型の3方式を、長所と副作用の対で説明できる
- 予算スラックがどこに、どんな形で紛れ込むかを指させる
- ゼロベース予算・増分予算・継続予算を、使いどころで選び分けられる
マスターバジェットの全体像と、数字を決める人の決め方
各部門に「来期の数字を出してください」と頼み、返ってきた紙を足し合わせる。それだけで予算ができるなら苦労はありません。実際に足してみると、たいていは利益が思ったより小さく出ます。誰も嘘は書いていないのに、です。
会議室で起きたこと
ASTRA Manufacturing のハノイ工場。ケンが、APAC統括のジョンに出す初めての年度予算を組んでいる場面です。取引先で社員食堂も請け負っている Oceanic Foods の スジンから、前の週に聞いた話を持ち込みました。
ケン: リンさん、各課から来期の数字が返ってきました。足し合わせて営業利益を出したら、今期より小さいんです。売上は伸びる前提で書いてあるのに。
リン: よくある結果ね。誰か1人が大きく間違えたわけではないと思うわ。全員が少しずつ、安全側に寄せたの。
ケン: 安全側、というと。
リン: 営業は売れる数を控えめに書く。製造は原価を多めに見ておく。管理部門も、来期の経費を少し厚めに積む。それぞれ「達成できなかったら困る」という気持ちからの動きよ。1部門ずつ見ればどれも常識的な幅なの。
ケン: それが全部乗ると、利益のところに集まってくる、と。実はOceanic Foodsのスジンさんも同じことを言っていました。3つのチームから予算を集めたら、去年より儲からない計画になっていた、と。
リン: それを予算スラック(budgetary slack)と呼ぶの。数字を出す人が、自分が楽になるように余裕を仕込んだ分ね。悪意ではなく、評価のされ方が生む反応。
ケン: では、上から数字を決めて配ればいいんでしょうか。ジョンが「売上15%増」と言えば、そのとおり組めます。
リン: 速いし、スラックも入りにくい。でも今度は、現場が「自分の数字」だと思わなくなるわ。届かなかったときに「上が勝手に決めた数字ですから」で終わってしまう。どちらの方式にも代償があるの。
ケン: 上から決めても下から積んでも、それぞれ副作用がある。じゃあ何を選べば。
リン: 方式そのものより先に、予算が何のためにあるかを決めることね。計画を立てるための予算と、賞与を決めるための予算では、同じ人が違う数字を書くから。
ケン: ……たしかに。賞与の話が絡んだ瞬間に、僕でも控えめに書きます。
リン: それが正常な反応。今日は、予算がどんな順番で組み上がるのかと、誰が数字を決めるのかの型を持ち帰って。ジョンに出す紙は、そのあと作れば間に合うわ。
この場面で出てくる英語
| English | 意味 |
|---|---|
| master budget | 総合予算。全社の予算を1つに束ねたもの |
| budgetary slack | 予算スラック。見積りに仕込まれた余裕 |
| padding the budget | 予算を水増しすること(費用側を厚く書く) |
| sandbagging | 達成しやすい低い目標をわざと置くこと |
| buy-in | 納得して自分ごとにすること |
| roll up | (部門の数字を)積み上げて合算する |
| budget guidelines | 予算編成方針。上から先に配られる前提条件 |
| stretch goal | 簡単には届かない、背伸びした目標 |
今日おさえる3つ
- マスターバジェットは、売上予算を先頭にした1本の連鎖で組み上がる
- 数字を誰が決めるか(トップダウン・ボトムアップ・参加型)で、入り込む歪みが変わる
- 予算の作り方には型がある(増分・ゼロベース・継続)。目的によって選ぶ
マスターバジェットは、1本の連鎖で組み上がる
マスターバジェットMaster Budgetは、全社の予算をひとまとめにしたものです。中身はばらばらの表の寄せ集めではなく、前の予算の出力が次の予算の入力になる連鎖になっています。順番を入れ替えて作ることは、ふつうできません。
| 区分 | 含まれる予算 | 何を決めるか |
|---|---|---|
| 運営予算Operating Budget | 売上予算、生産予算、材料購買予算、直接労務費予算、製造間接費予算、売上原価予算、営業費用予算 | 事業活動そのもの。最後に予算損益計算書になる |
| 財務予算Financial Budget | 資金予算(現金予算)、設備投資予算、予算貸借対照表、予算キャッシュフロー計算書 | その活動を回すお金。足りるのか、いつ足りなくなるのか |
なぜ売上予算が先頭なのか
生産数量は販売見込みから決まり、材料の購買量は生産数量から決まります。人員も設備も、そのあとに続きます。つまり売上予算Sales Budgetが動くと、下流の予算がまとめて動きます。マスターバジェットでいちばん見積りが難しく、いちばん影響が大きいのがこの1枚です。
ただし、先頭が売上予算にならない場合もあります。生産能力や特定の材料の調達量に上限があり、それ以上は売っても作れないときです。この制約となる要因を制約要因Constraining Factorと呼び、そこを起点に予算を組み立てます。
| 順 | 予算 | 直前の予算から受け取るもの |
|---|---|---|
| 1 | 売上予算Sales Budget | 販売数量と価格の見込み(Day 15・16の予測手法) |
| 2 | 生産予算Production Budget | 販売数量。ここに製品在庫の増減を加減する |
| 3 | 材料購買・直接労務費・製造間接費予算Direct Materials / Direct Labor / Overhead | 生産数量 |
| 4 | 売上原価予算Cost of Goods Sold Budget | 製造原価と在庫の増減 |
| 5 | 営業費用予算Operating Expense Budget | 販売数量(販売費)と組織の規模(管理費) |
| 6 | 予算損益計算書Budgeted Income Statement | 1〜5のすべて |
| 7 | 資金予算Cash Budget | 予算損益と、回収・支払のタイミング |
| 8 | 予算貸借対照表Budgeted Balance Sheet | 期首残高と1〜7の増減 |
6〜8のように、実績ではなく計画から作った財務諸表を予測財務諸表Pro Forma Financial Statementsと呼びます。形は Day 1 で見た財務諸表と同じで、中身が過去ではなく未来という違いです。
誰が全体を仕切るのか
各部門が勝手に作ると、前提が食い違います。営業は為替を1ドル150円で、製造は155円で置いている、といったずれです。そこで多くの会社は、予算委員会Budget Committeeを置いて全社の前提条件と方針を配り、予算マニュアルBudget Manualで書式・提出期限・使う前提を統一します。編成から実績の振り返りまでの一巡を予算サイクルBudget Cycleと呼びます。
誰が数字を決めるか ── 3つの方式
同じ会社でも、数字を決める主体によって出来上がる予算は変わります。
| 方式 | 数字を決める人 | 長所 | 代償 |
|---|---|---|---|
| トップダウンAuthoritative / Top-Down | 経営層が決めて配る | 速い。戦略と揃う。スラックが入りにくい | 現場が自分の数字だと思わない。実務の制約を見落としやすい |
| ボトムアップParticipative / Bottom-Up | 現場が作って積み上げる | 現場の情報が入る。納得感が高い | 時間がかかる。スラックが入りやすい。戦略とずれることがある |
| 参加型(すり合わせ)Consultative / Negotiated | 上が方針を出し、現場が数字を作り、両者で詰める | 両方の長所を取りにいける。実務でいちばん多い形 | すり合わせの手間が大きい。交渉がうまい部門ほど緩い予算になりやすい |
3つ目の参加型は、ボトムアップと同じ言葉で呼ばれることもあります。試験でも実務でも、名前より「誰が最初の数字を書き、誰が最後に承認するか」で読み分けるほうが確実です。
目標の高さも設計する
予算に置く目標水準は、達成しやすい水準から、簡単には届かない水準(ストレッチゴール)まで幅があります。一般に、少し背伸びする程度で達成可能と本人が思える水準がいちばん力を引き出すとされ、逆に届かないと最初から見える目標は、動機づけとしては働きにくいと言われます。ここは人の反応の話なので、数式では決まりません。
参加型の副作用 ── 予算スラック
予算スラックBudgetary Slackは、予算を作る人が意図的に仕込む余裕です。入り方は2通りしかありません。
- 収益を控えめに書く(sandbagging)。売れる数を少なめに置いておけば、達成は楽になります
- 費用を厚めに書く(padding)。使い切れない額を確保しておけば、途中で足りなくなる心配が減ります
厄介なのは、1部門あたりの幅が小さいことです。「5%くらいは見ておこう」は、その部門の中では良心的な水準に見えます。ところが売上の数%と費用の数%は、差額である利益の上では何十%にもなります。第2部でその金額を実際に出します。
なぜ起きるのか
| 背景 | 起きること | 打ち手の例 |
|---|---|---|
| 予算の達成度が賞与や評価に直結している | 低い目標を置くほうが合理的になる | 評価を予算達成度だけに置かない。予測の精度そのものも見る |
| 使い切らないと翌期の枠が削られる | 期末に駆け込みで使う | ゼロベースで積み直す。未使用分の繰越を認める |
| 上位者が一律にカットする慣行がある | カットされる前提で先に厚く積む | 一律カットをやめ、根拠を見て個別に判断する |
| 不確実性が高く、外す恐れが強い | 安全側に寄せる | 幅(レンジ)や複数シナリオでの提出を認める |
最後の行は、スラックと正当な備えの境目が曖昧だということでもあります。読めない要素に幅を持たせるのは見積りの技術で、隠すのは別の話です。両者を分けるのは、その余裕が上に開示されているかどうかです。
予算の作り方 ── 3つの型
| 型 | やり方 | 向いている場面 | 弱点 |
|---|---|---|---|
| 増分予算Incremental Budgeting | 前期の実績や予算を出発点に、増減分だけを議論する | 環境が安定していて、費目の性格が変わらないとき | 過去の無駄がそのまま引き継がれる。誰も前提を問い直さない |
| ゼロベース予算Zero-Based Budgeting | 前期をゼロとみなし、すべての支出をその都度正当化して積み直す | 間接部門の費用、聖域化した費目の見直し | 手間と時間がかかる。毎期の全社適用は現実的でないことが多い |
| 継続予算Continuous / Rolling Budget | 1か月(または四半期)が終わるたびに、先の1期間を足して常に一定期間先までを持つ | 変化が速く、年1回の編成では陳腐化する事業 | 編成の作業が年中続く。担当者の負荷が高い |
このほかに、活動ごとの必要量から費用を積むアクティビティベース予算Activity-Based Budgetingや、あらかじめ一定率の改善を織り込む改善予算Kaizen Budgetingがあります。どれも「前期の数字を出発点にしない」という点で、増分予算への対案として置かれます。
なお、実績の活動量に合わせて予算額を組み替える変動予算Flexible Budgetは、編成の型ではなく、できた予算を評価に使うときの技術です。Day 22 で扱います。
予算が担う4つの役割
予算に何をさせたいのかがはっきりしないまま作ると、方式の選択も目標水準の置き方も決まりません。役割は大きく4つです。
| 役割 | English | 中身 |
|---|---|---|
| 計画 | Planning | 戦略を、期間と金額に翻訳する |
| 調整と伝達 | Coordination & Communication | 部門どうしの前提を突き合わせ、全社の方針を数字で伝える |
| 動機づけ | Motivation | 目標を示して、行動を引き出す |
| 統制と業績評価 | Control & Performance Evaluation | 実績と比べ、差異の原因をたどる |
この4つは、同時には立ちにくい関係にあります。動機づけと業績評価のために予算を使うほど、数字を出す人には低い目標を置く動機が生まれ、計画としての精度が落ちます。冒頭でリンが「方式より先に、予算が何のためにあるかを決める」と言ったのは、この綱引きのことです。
ここまでが全体像です。次は、部門の「保険」が全社の金額としていくらになるのかを、Oceanic Foods の数字で確かめます。売上予算や生産予算を1枚ずつ作る作業は Day 17 から始めます。
この教材に登場する企業(ASTRA Manufacturing、Oceanic Foods ほか)と人物、および金額はすべて架空です。
特定の国の法令には依拠しない、一般的な会計の考え方を扱います(初版 2026年8月)