みんなの頭の中にある比較図

佐々木麟太郎の進路が、この1週間ずっと揺れている。

7月13日(日本時間)、MLBドラフトでマーリンズが8巡目・全体235位で指名。15日には「マーリンズ入団を決断」と報じられ、かと思えば数日後には「一転、まだ3つの選択肢(マーリンズ・ソフトバンク・スタンフォード残留)の間で揺れている」というコラムが出た。ソフトバンクは昨秋のNPBドラフトで1位指名して交渉権を保持したまま、交渉継続の姿勢を崩していない。この記事を書いている時点で、結論は確定していない。

で、この話題を眺めていて気になったのが、SNSや解説記事の多くが暗黙の前提にしている「比較の図」だ。

片方には、ソフトバンクが福岡県筑後市に持つ育成拠点「HAWKSベースボールパーク筑後」。総工費50〜60億円、プロ野球最大規模とされる屋内練習場、リハビリ設備、そして若鷹寮。栄養管理された食事が毎日出てきて、生活の不安はゼロ。

もう片方には、「ハンバーガーリーグ」と揶揄されてきたマイナーリーグ。8巡目の契約金で薄給暮らし、12時間の深夜バス、ピーナッツバターサンドの食事、貧困線以下の年俸——。

つまり「育成環境ならソフトバンクの圧勝。それでも夢を取るのか麟太郎」という構図だ。

私はこれに引っかかった。世界最高の野球ビジネスであるMLBの育成環境が、日本より悪いわけがないんじゃないか。「ハンバーガーリーグ」のイメージ、更新されてなくないか? そう思って調べてみた。

マイナーの下の大学野球の施設も素晴らしいし、佐々木はそこで2年目は成績を伸ばした。マイナーにはそれ以上に成長できる環境があるはず。

50年分の変化が4年で起きた

まず前提の整理。マイナーリーグの労働環境は2020年代に4段階の制度改革を経ている。①2020年の球団再編(160球団→120球団、MLBが運営権を掌握)、②2021年の新施設基準(PDL基準)導入と給料38〜72%引き上げ、そして選手が管理人に日額8〜15ドル超を自腹で払って質素な食事を賄う悪名高き「クラブハウス・デュース」の全廃、③2022年の住宅提供義務化、④2023年のマイナーリーガー史上初の労使協定(CBA)締結。

Baseball Americaはこう総括している。「2019年に契約した選手は、その後の4年間で、それ以前の50年間より多くの変化を経験した」。

では、その変化は具体的にどの球団で、どう起きたのか。

佐々木麟太郎が実際に歩く道——マーリンズ傘下の4球団

まず当事者の環境から見る。マーリンズに入団した場合、佐々木が昇格の階段として歩くのはこの4球団だ。

Low-A:ジュピター・ハマーヘッズ(フロリダ州)。本拠地はマーリンズの春季キャンプ地でもあるロジャー・ディーン・シボレー・スタジアム。つまり最下層からメジャーのキャンプ施設と同じ複合施設を使う。マイアミから約77マイル(約124km)で、親球団との距離は全米屈指の近さだ。

High-A:ベロイト・スカイカープ(ウィスコンシン州)。2021年夏にダウンタウンに開業したばかりの新球場ABCサプライ・スタジアムが本拠地。この新球場建設が球団再編を生き残る決め手になったと、当時のMLB公式リリースでも明言されている。マーリンズ傘下で唯一のフロリダ外で、マイアミから1,259マイル。ここが佐々木のキャリアで最も「遠い」場所になる。

AA:ペンサコーラ・ブルーワフーズ(フロリダ州)。メキシコ湾に面したウォーターフロント球場で、マイナー屈指の人気球団として知られる。

AAA:ジャクソンビル・ジャンボシュリンプ(フロリダ州)。本拠地VyStarボールパーク、2009年からマーリンズと提携する古参だ。

4球団中3つがフロリダ州内。地理的にコンパクトな組織であることがわかる。これは偶然ではなく、再編でAAA球団が平均200マイル以上親球団に近づいた(MLB.com)という全体傾向の一例だ。ブレーブスに至っては2025年のコロンバス移転で、フルシーズン提携4球団すべてがジョージア州内に収まった。

設備——「床」を強制的に引き上げた球団たち

2021年のPDL基準は減点方式で、ホーム・ビジター双方のクラブハウス1,000平方フィート(約93㎡)以上、ウエイトルーム、電源・Wi-Fi付き全天候型の打撃・投球トンネル2本、トレーニングルーム最低400平方フィート、そして史上初めて女性スタッフ用ロッカールームを義務化した。基準を満たせなければ提携打ち切り。だから全米で改修ラッシュが起きた。

例えばLow-Aのウェストミシガン・ホワイトキャップス(タイガース傘下)は、2024年開幕までにホーム・ビジター両クラブハウスの移設、ウエイトルーム拡張、女性コーチ用スペース、クラブハウス直結の打撃トンネルを整備した。High-Aのスポケーン・インディアンス(ロッキーズ傘下)の本拠地改修は総額1,600万〜2,200万ドル規模で、スポケーン郡が800万ドル、隣接市が観光税から200万ドルを拠出。AAのオルトゥーナ・カーブ(パイレーツ傘下)はペンシルベニア州の補助金で2023年開幕前に改修を完了した。

新築の動きはもっと大きい。High-Aのヒルズボロ・ホップス(オレゴン州)は既存球場では基準を満たせず、公費4,100万ドル+民間1億1,200万ドルの約1億5,300万ドルを投じて2026年開業の新球場を建設。女性コーチ・審判専用施設まで備える。AAのリッチモンド・フライングスクウォーレルズも約1億1,000万〜1億2,000万ドルの新球場CarMax Parkを2026年に開業させた。

食事——クリーブランドの厨房と、オークランドの食パン

食事は制度上、「球団による1日2食+試合・練習日の補食」の無償提供に変わった(2023年CBA)。では現場はどうか。

好例はクリーブランド・ガーディアンズだ。専属スポーツ栄養士2名(グラント・ハリス、ミゲル・ソリス)とエグゼクティブシェフのジェレミー・シュローダーが一軍からマイナーまでを横断的に管理し、マイナーでは試合前にサンドイッチやボウルの「グラブ&ゴー」、試合後はタンパク質6〜8オンス+炭水化物+野菜のフルスプレッドを提供する体制を敷いている。

一方で悪例もはっきり記録に残っている。2021年6月、オークランド・アスレチックス傘下で試合後に出された食事が「食パンにスライスチーズ」レベルだったことをNPO団体が写真付きで告発し、球団社長デーブ・カバルが「totally unacceptable(全く受け入れられない)」と謝罪、業者を解雇した(ESPN)。エンゼルス傘下では「選手が2週間で5ポンド痩せた」「筋肉量を維持する栄養が足りていなかった」というコーチ証言もある。

そして栄養士ソリス周辺の証言が一番身も蓋もない。「実態は、多くの選手が9時間のバス移動中にガソリンスタンドかSubwayで食事を選んでいる」「1組織約290選手に栄養士1人」。制度が保証するのは「2食出ること」であって、その質は球団の予算と姿勢に依存する。クリーブランドとオークランドの差は、そのまま組織間格差の縮図だ。

育成——レッドソックスの逆襲とデータの民主化

育成面の変化は、レッドソックスがわかりやすい。Driveline出身者を登用し、投球再現マシンTrajektや超高速カメラEdgertronic(毎秒最大1.7万コマ)を組み込んでマイナー育成を刷新した結果、Baseball Americaのファームシステムランキングで1位に浮上した。ドジャース傘下の投手コーチは自身の経歴に、Rapsodoと Edgertronicを「日々のピッチデザイン」に、TrackManを「シーズン中の育成追跡」に、モーションキャプチャKinaTraxを「フォーム維持と怪我予防」に使うと明記している。KinaTraxは「前足接地時の手の位置」といった怪我リスクの兆候検出にも使われている(Sports Illustrated)。

重要なのは、これが一部の金持ち球団の話ではないことだ。マイナー全120球団はデータ共有のための共通ネットワーク網で結ばれ(2022年)、機材は最下層まで浸透した。現場コーチ自身が「全球団が同じ機器を持つので、競争優位のギャップは縮小している」と語る。差がつくのは機材ではなく、データを選手に「翻訳」できる人材——ここは親球団の投資意欲次第で、依然差がある。

移動と待遇——数字で見る

移動は劇的だ。かつて旧パシフィックコーストリーグは年平均20,081マイルを移動していたが、2021年の地域集約と「同一カード6連戦+月曜一斉休養日」制で、リーグ総走行距離は28〜56%減(ESPN)。550マイル超は航空機義務、AAAは350マイル超も飛行機、50マイル超はホテル泊義務。オフデーは最低15日に1回になった。

待遇はもっと劇的だ。2023年CBA後の最低年俸は、ルーキー級4,800ドル→19,800ドル(+312.5%=Sportico)、Low-A 26,200ドル、High-A 27,300ドル、AA 30,250ドル、AAA 35,800ドル。通年支給化され、2022年からは家具付き住宅が球団費用で提供され(AA以上は個室保証、光熱費も球団負担)、昇降格時の二重家賃問題も消えた。未払い賃金をめぐるSenne集団訴訟も2023年に約1億8,500万ドルで和解し、約24,000人に支払われた。

もちろん残る課題も具体的だ。10巡目以降の契約金は1万ドル未満が普通で、上位指名との初期資産格差は桁違い。オフの12〜1月は無給期間が残り、AAA最低年俸でもNBAのG League(35,000ドル)と同水準、アイスホッケーAHL(52,000ドル)には及ばない。改革は「床」を引き上げたのであって、格差をなくしたわけではない。

それでもソフトバンクが勝つ面——寮メシという別次元

さて、私の予想が外れた方の話。面ごとにフェアに比較すると、食と住のケアではNPB、特にソフトバンク級の球団が今なお明確に上だった。

筑後は二軍・三軍・四軍・リハビリ組・寮を同一敷地に集約した、いわば「昇降格しても引っ越さない」設計だ。マーリンズ傘下ならジュピター→ベロイト→ペンサコーラ→ジャクソンビルと住居が変わるのに対し、筑後では一軍昇格まで生活が動かない。

そして寮メシ。NPBの若手は寮でほぼ無料の食事、光熱費は球団負担、寮費は月数万円の名目額。西武は帝京大学スポーツ医科学センターの管理栄養士2名(一軍担当・ファーム担当)と給食会社が寮食を監修し、栄養マーク付きの選択メニュー制を導入。DeNAの青星寮は1日約120食を作り置きせず提供し、名物「青星寮カレー」は地域の学校給食にまで展開されている。米側の「球場で2食」と、朝から晩まで栄養を包括管理する寮制度とでは、設計思想の次元が違う。

設備投資もNPBは負けていない。巨人は2025年3月に稲城市へ「ジャイアンツタウンスタジアム」を開場(2027年には水族館一体型で本格開業予定)、DeNAは横須賀・追浜に施設を集約、日本ハムは二軍本拠地の恵庭移転を発表済みだ。移動でも2026年からファームを3地区制に再編し、中日〜筑後間800km超の遠征を330〜370kmに短縮した。太平洋の両側で、同じ時期に「若手を長距離移動から守る再編」が起きているのは示唆的だと思う。

ただしNPBにも弱点はある。データ面では、トラッキング機器の導入は進んだ(TrackMan・Rapsodoとも約10球団規模との報道)ものの、「これらの仕事をひとりで全てやっている球団が多い」(東洋経済)——米のような分業体制が薄い。そして何より、筑後やジャイアンツタウンのようなトップ球団の投資と老朽施設が並存し、米の「120球団への強制的な床上げ」のような均一性がない。

結論——10年前の地図で今の道を歩かない

整理する。設備の均一な底上げ、データ育成の分業体制、住宅提供、地域興行としての成熟——米が上。寮の無料食と栄養の包括管理、生活拠点の安定、雇用の安定——NPBが上。「どちらの育成環境が上か」ではなく「どの面でどちらが上か」でしか語れないし、両方とも数年前より明確に良くなっている。

だから佐々木麟太郎の選択を「恵まれた筑後を捨てて、過酷なマイナーに挑む悲壮な決断」と読むのは、10年前の地図で今の道を歩くようなものだと思う。彼が入るのは、新築のABCサプライ・スタジアムがあり、球団持ちの家具付き住宅があり、AAからは個室が保証されるマイナーリーグだ。報道によれば、彼を米国に向かわせているのは環境の比較ではなく、少年時代にボンズやオルティスに憧れ、身近にいた大谷翔平の活躍を見て育った、シンプルな夢の話らしい。環境の差が縮まった今だからこそ、純粋に夢で選べる——そう読む方が実態に近い気がする。

ハンバーガーリーグは終わったのか。制度上は、終わった。現場では、球団によって終わり方に濃淡がある。断言はまだできない。でも少なくとも、「メジャーの育成環境が日本より悪いに決まっている」という前提だけは、もう手放していい。

彼がどういう進路を選択するか非常に楽しみだ。