日経の記事を読んで、手が止まった

2026年3月29日付の日経新聞に、こんな見出しの記事が載った。

ベトナム『国内留学』広がる——高額な学費とビザ厳格化がハードルに

ハノイ在住のブ・ハ・マイさん(23歳)。高校時代、オランダで心理学を学ぶ夢があった。でも奨学金がなく、フィンランドに志望を変えた。ところがコロナで渡航できず、結局ベトナム国内のRMIT大学に進んだ——という話だ。

「国内留学」

何を隠そう、1990年代後半に私も日本で国内留学をしたうちの一人だ。当時ブームだったアメリカの大学の現地校に入学し、私は1年でやめてアメリカの大学に入り直した。

同じような感じでベトナムには海外の大学のベトナム校みたいなのがいくつかある。学費はとても高い。ただ、その学費に見合ったリターンがあるかどうかはよくわからない。

1年ほど前にBritish Universityを卒業したばかりの男性から履歴書がとどいた。その時は経験者を求めていたので面接にも至らなかったが、希望の給料は10million。正直驚いた。あんなに学費高いのに初任給が10millionなのか。そして、私が面接もしなかったように、ベトナムの新卒が仕事を探すハードルはとても高い印象がある。

ベトナムの若者たちが「海外に出たい」と強く思っていることは、肌で知っている。

でもさきほどのエピソードのように、高い学費を払って「国内留学」しても得られるリターンは少ないため、誰が何のためにするのだろうかというのが非常に気になっていた。

初任給が10 million VND(約6万円)前後。4年間で数億〜十数億ドンを投じた「投資」に対して、リターンが見合っていない。

それって、本人も家族も、つらくないか?

この疑問を起点に、ベトナムの若者たちの進路選択について深く調べてみた。見えてきたのは、「学歴」や「大学名」の話ではなく、家族の経済戦略、移住計画、歴史的な傷跡、そして言語がもたらす見えないヒエラルキーだった。

1. ベトナムは「留学大国」である

まず数字で驚く。

2025年時点で、海外に出ているベトナム人留学生は約19万〜25万人。ASEAN最多だ。人口1億人の国から、これだけの若者が海外で学んでいる。

日本と比べると、この異常さがわかる。

日本は人口1.24億人に対し、海外留学中の学生は約6.4万人(2022年JASSO調査)。人口比で0.05%。一方ベトナムは人口1億人から19〜25万人、人口比0.2〜0.25%。ベトナムは日本の約4〜5倍の比率で若者を海外に送り出している。しかもベトナムの一人当たりGDPは日本の約10分の1だ。所得水準が10分の1の国が、5倍の比率で留学生を出している。この「無理をしてでも出す」感覚が、ベトナム社会の教育熱の凄まじさを物語っている。

そしてもう一つ、方向性の違いが際立つ。ベトナムは「海外に出る側(送出国)」、日本は「海外から受け入れる側(受入国)」。在日ベトナム人は約58万人で、在日外国人の中で最多だ。同じアジアの国なのに、教育と移住に対するエネルギーの方向がまるで逆なのだ。

行き先のトップはこうなっている(2025年データ)。

10年前までは「留学=欧米」だったのが、今はアジア域内シフトが鮮明だ。西側諸国のビザ厳格化——カナダやオーストラリアが住宅不足や反移民感情を背景に留学生受け入れを制限しはじめたこと——が、このシフトを加速させている。

そして最も重要な事実——留学生の約90%が自費だ。

2. 家族はどうやってお金を工面するのか

ここがベトナム社会の深層に触れる部分だ。

ベトナムの1人当たり月平均所得は約540万VND(約3万円)。都市部でも690万VND程度。この水準で、年間数千万〜数億ドンの留学費用をどう捻出するのか。

HSBCの調査によれば、ベトナムの保護者は家計支出の最大47%を教育費に充てるケースがある。年間の教育費海外流出は推計18億ドル、GDPの約1%に相当する。

家族・親族の総動員。 祖父母、叔父叔母、いとこまで巻き込んだ「一族の教育投資プロジェクト」として子供を送り出す。

土地や家を担保にした借金。 地方では農地を売って留学費を作る家庭もある。

「Chơi họ(チョイホ)」という伝統的な無尽。 親族やコミュニティで資金を出し合い、まとまった現金を順番に受け取る相互扶助システム。銀行ローンの審査が通らない家庭にとって、これが「留学ローン」の代わりになる。

つまり、ベトナムの留学は「個人の夢」ではなく、「家族の経済戦略」なのだ。

3. 留学は「移住計画」の第一歩

ここが日本人には見えにくい部分だと思う。

多くのベトナム人家庭にとって、留学のゴールは「学位を取って帰国する」ことではない。

留学 → 現地就労 → 永住権 → 家族の呼び寄せ

この一連の流れが、最初から計画されている。カナダならPGWPからExpress Entryへ。オーストラリアなら485ビザからポイント制移民へ。各国のルートが精緻に比較され、「どの国に行けば永住権が最も取りやすいか」で留学先が選ばれている。

なぜそこまでするのか。

ベトナムの経済成長は年率6%台と素晴らしい。でも、インフラの脆弱性、環境問題、政治体制への潜在的な不安は依然としてある。先進国のパスポート(永住権)を持つことは、一族にとって究極のセーフティネットなのだ。

その移住戦略の結果として形成されたのが、世界に約500〜600万人いる海外在住ベトナム人(Việt Kiều)のネットワーク。彼らからの送金は年間約140億ドル、GDPの4.6%に相当する。すでに海外にいる親族が、新たに留学する若者に住居を提供し、アルバイトを紹介し、ビザのノウハウを教える。こうして移住の連鎖が続いていく。

4. Việt Kiềuの歴史——なぜこれほど多くのベトナム人が海外にいるのか

ベトナム社会を理解するうえで避けて通れない歴史の話だ。

第一の波:フランス植民地時代。 富裕層やエリートがフランスに渡り、知識人コミュニティを形成した。

第二の波:1975年サイゴン陥落後のボートピープル。 最大の波だ。南ベトナムの政府関係者、資本家、華人など約200万人が命がけで脱出。UNHCRの推計では20〜25万人が海上で命を落とした。生き残った人々は米国、カナダ、オーストラリア、フランスに定住し、現在では強力な経済力と政治力を持つ集団に成長している。

第三の波:冷戦期の東側ブロック。 ソ連や東欧に「労働協力」の名目で派遣された人々。ここが興味深いのは、ソ連崩壊後の混乱の中で貿易nなどで巨額の資本を蓄積した帰国者が、現在のベトナム経済の中で重要な位置を占める新興財閥を形成していることだ。Vingroup創業者のファム・ニャット・ヴオンはモスクワの大学に留学し、ウクライナで即席麺「Mivina」で大成功した後、その売却資金でベトナム最大のコングロマリットを築いた。Masan Groupのグエン・ダン・クアンやTechcombankのホー・フン・アインも同様に旧ソ連・東欧組だ。

第四の波:ドイモイ以降の経済移民。 1990年代から現在。純粋な経済的動機で、海を渡る層。イデオロギーの背景はなく、SNSで現地情報をリアルタイム共有する柔軟なトランスナショナル世代だ。

この4つの波が混在していることが、ベトナム社会の複雑さの源泉だ。

5. 「国内留学」とは何か——そして投資回収の厳しい現実

冒頭の日経記事に戻ろう。

「国内留学」とは、ベトナム国内の大学で海外大学と連携した国際プログラムを受講すること。英語で授業を受け、国際的に認められた学位が取れる。

RMITの4年間の学費総額は約48,000〜64,000ドル(12〜16億VND)。一方、公立トップのVNUは4年で5,000ドル程度(1.2億VND)。学費差は10億VND以上だ。

では卒業後はどうか。

※ここからの給与比較は、大卒のオフィスワーカー(ホワイトカラー)の話だ。工場ワーカーの給与水準は別の世界で、後述する。

人材コンサル会社の調査で、国内大卒と海外大卒の初任給が約1,060万VNDでほぼ同水準になったというデータがある。VinUni卒の初任給中央値は1,500万VND、RMIT卒のIT系で1,800万VND程度。一方、ホーチミン市経済大学(公立トップ)でも2025年卒の7割が月900万VND超。

RMIT卒で月15M VNDスタートだとすると、VNU等の公立トップ卒との差は月3〜5M VND程度。4年間の学費差(10.8億VND)を回収するのに15〜30年かかる計算になる。

シドニーの教育社会学者リエン・ファム博士の研究でも、「MNCでの最高給与が月額約1,000ドルだとすると、学費+生活費の10万ドル以上の投資を回収するのに約10年かかる」と試算されている。

高い学費を払ったのに初任給が変わらない。 この現実は、本人の能力の問題ではなく、ベトナムの労働市場が教育投資のROIを反映できる成熟度にまだ達していないという構造的問題だ。

6. 大学ティア別の「その後の人生」——現場で見てきた5段階

採用に関わっていると、出身大学・ルートによって人材の質にかなり明確な傾向があることに気づく。もちろん個人差は大きいが、構造として見るとこうなる。

※以下は大卒ホワイトカラー(オフィスワーカー・管理職候補)の話だ。工場の製造ラインで働くワーカー層とは、採用基準も給与体系も根本的に異なる。

なぜ「欧米トップ・日本国立」が強く見えるのか。答えは入口の段階で厳しく選別されているからだ。VinUniversityの初期入学生はSAT平均1,411点(世界上位5%)、IELTS平均7.15。日本の旧帝大もEJU高得点+N1が実質要件。「入学できた時点で既に優秀」なのだ。

一方、日本の私立大学ルート(日本語学校→専門学校→Fランク私立)の学生の84%は専門学校止まり。このルートの多くは「留学」名目の実質的な出稼ぎで、学業への動機づけが根本的に異なる。

そして国内留学組(B層)。ブリティッシュ・カウンシルのベトナム雇用主150社調査では、73%が「海外大学卒の人材が語学スキルの需要に最も適している」と回答。雇用主は依然として「海外=上」という認知バイアスを持っている。RMIT卒でも「ベトナム国内にいた人」というカテゴリに入れられがちだ。

ただし、C層の「8〜12M VND」には重要な例外がある。 同じ国内公立トップでも、特定の学科はティアが一段も二段も跳ね上がる。たとえばハノイ国家大学(VNU)外国語大学の日本語学科。入試で30点中27〜28点が必要な超難関を突破し、4年間でN1レベルに達する学生が多い。「日本語N1+VNUブランド+英語も中級以上」という組み合わせは、日系企業の採用市場ではトップ中のトップだ。初任給は15〜20M VND、大手日系メーカーや商社なら18〜25M VNDスタートもあり得る。1〜2年後の転職で25〜30M VNDに跳ねるケースも珍しくない。供給が年間数十人しかいないのに、日系企業からの需要が圧倒的に多いからだ。

同様に、HUST(ハノイ工科大学)のIT・電子工学系はSamsungやMicrosoftが直接採用に来るし、FTU(外商大学)の国際ビジネス学科はBig4(監査法人)や外資系銀行への就職率が極めて高い。UEH(ホーチミン市経済大学)の金融・会計学科も南部では最強クラスだ。

つまり、上のティア表はあくまで「平均的な傾向」であって、特定の学校×特定の学科の組み合わせは、表の枠を超える。これはベトナムに限った話ではないが、ベトナムでは「どの大学か」以上に「どの学科か」「何語ができるか」が給与を決める度合いが強い。

7. 「留学帰り」の光と影——逆カルチャーショック

海外留学から帰国した若者は、期待と現実のギャップに苦しむケースが多い。

学術研究によれば、帰国留学生は「自分は当然高給を得るべきだ」という特権意識を持ちやすい。しかしベトナムの労働市場では、国内のコネクション、ローカルな市場理解、組織への適合性が重視される。

VnExpressの報道では、英国で4年間マーケティングを学んだファム・ティ・タイン・フエンが、帰国後1年かけてようやく銀行の仕事を見つけたものの、月給は1,000万VNDで国内大卒の同僚と変わらなかったと語っている。

人材会社Navigosの担当者は「海外学位があるだけで高く支払われるケースはない」と明言し、「帰国者が苦労する理由の一つは、国内の同世代より自分を上に位置づけてしまうこと」と指摘する。

プライドだけが高く実務力が伴わない帰国者は就職に苦戦し、「高学歴ニート」化する事例も報告されている。国内に残った側からは、表向きの尊敬と同時に、「実力が伴っていない」「偉ぶっているだけで泥臭い国内事情をわかっていない」という反感もある。

8. 国内トップ大学——「コスパ最強」の裏にある過酷な受験戦争

「それなら公立トップに行けばいいじゃないか」と思うかもしれない。確かに、VNUやHUSTは学費年間750〜1,250ドルで質の高い人材を輩出している。圧倒的にコスパがいい。

でも入る側の現実は地獄だ。

ベトナムの大学入試は、全国統一高校卒業試験のスコアで合否が決まる。VNUハノイやHUSTの人気学部は30点満点中27〜29点が必要。各科目10点満点で3科目、つまりほぼ満点を取らないと入れない

ハノイの中学生が週20〜30時間の課外学習をこなすのは珍しくない。高校3年生の受験期は1日12〜14時間勉強が標準だ。小学校低学年から塾(trung tâm)通いが始まり、中学になると放課後も土日も夏休みも全部補習で埋まる。

犠牲になるもの。 友人との時間、趣味、スポーツ、恋愛、「何者になりたいか」を考える余裕——すべてが点数に収斂される。ベトナムの教育は伝統的に暗記・詰め込み型で、批判的思考やクリエイティビティを育む余地が構造的に少ない。教育者と雇用主の65%が「大学卒業生に必要なソフトスキルと技術スキルが不足している」と認めている。

家族の犠牲。 塾代は月200〜500万VND。ベトナムの平均月収7.7M VNDを考えると家計の25〜65%を占めうる。親が食事を切り詰め、祖父母が貯金を切り崩し、「この子だけは良い大学に」と一族で支える。

見えない機会費用。 18歳までの6〜8年間を試験対策に費やした結果、欧米の大学生が当たり前に持っている経験が決定的に欠けている。

アメリカの大学では、授業の中にCapstone Project(卒業プロジェクト)が組み込まれていて、実在の企業の課題を学生チームで解決する。「この地域の高齢者の孤立問題を解決せよ」のような正解のないテーマに、リサーチ→プロトタイプ→テスト→改善のサイクルで取り組む。カナダのWaterloo大学では学期と交互に6回のインターンが必須で、卒業時に2年分の実務経験がある。授業外でも、週末48時間のハッカソンでアプリを作ったり、大学内のインキュベーターで実際に起業したり、NPOを立ち上げたりする学生が普通にいる。

そして何より違うのは、授業中に教授に反論しても評価されること。むしろ反論しないと「参加していない」と見なされる。「あなたはどう考えるのか」が常に問われる。

だからVNUを首席で卒業しても、面接で「あなたが主体的に何かを変えた経験を教えてください」と聞かれると詰まる人が多い。

そして、これは実は日本も同じだ。

よくベトナムの人は自分の頭で考えられないとか、言われたことしかやらないと聞く。私もこの点は仕事でも結構困って、子どもたちがこうならないためにどうしたら良いかと常に考えている。

この話をAIに聞くと、たいていは先程の話しのように「ベトナムは詰め込み教育だから…という話しになるが、今回のAIとの対話では、「実は日本人も同じです」という話しになり興味深かった。

日本では子供の頃からなんとか当番とか、クラブや部活、大学ではサークルなど、勉強以外のところで責任を持って主体的に取り組む機会はベトナムよりも多いと思う。

ただ、それが「自分で問いを立てて、自分でやり方を決めて、失敗から学ぶ」という欧米型のプロジェクトのように多くの学生が経験できているかは別の話しだ。

日本人は「空気を読んで動く」、ベトナム人は「上の指示を待つ」——表れ方は違うけれど、「自分で問いを立てて動く」という意味では、どちらも弱いというのが今回のAIとの対話で出た新たな視点だった。

「考える力がない」のは日本もベトナムも構造的に似ていて、欧米との差は個人の資質ではなく教育の設計思想の問題なのだ。

ベトナムの教育システムの最大の皮肉は、入るのは地獄のように大変なのに、出た後の報酬が投入した努力に見合わないということ。そしてその構造的ギャップが、海外留学へのプッシュ要因にもなり、「国内留学」という新しい市場を生み出している。日本も「入試の選抜機能は強いが、大学4年間の成長機能が弱い」という意味で、同根の問題を抱えている。

9. 言語ヒエラルキー——「何語ができるか」で人生が変わる

以前、日系企業のお客さんを訪問したベトナム人の同僚が行った。

「あの会社の日本人ができるベトナム人スタッフたちは、私たちを見下しているようだ。」

そう言った人は、英語がとても流暢で、日本語レベルに置き換えるとN1を超えているくらい。それでも日系企業に務める人は、日本語が上手な人がえらく、英語がいくら流暢でも日本語ができない人はバカにされる傾向があるようだ。
日系企業の中では日本語ができる人間が上司や日本人駐在員と直接コミュニケーションでき、情報も権限も集中しやすい。英語しかできない人は社内で疎外感を感じる。

逆のパターンもある。欧米系外資では、英語の能力が高度な人材が「真のグローバル人材」として上位に位置づけられ、日系・韓国系で働く層は「二流」扱いされることがある。

そして今、最も劇的な変化が起きているのが中国語だ。

採用プラットフォームJobokoの2025年給与レポートによれば、中国語を要求する求人は前年比50%増、2023年比で95%増の約13,000件に達した。日本語(2.4倍の差)や韓国語(5.4倍の差)の需要を圧倒している。大卒のオフィスワーカー層でも、中国語話者には最大40%のサラリープレミアムが付与され、製造業やエンジニアリング分野では、経験の浅い若手でも1,500万〜2,600万VNDというシニアレベルの給与を即座に獲得している。

中国企業のベトナム進出が加速する中、言語のヒエラルキーは急速に書き換えられている。かつての「英語>日本語>韓国語」という序列に、中国語が割り込んできた形だ。

そして2026年3月、Tuổi Trẻ紙がさらに衝撃的な現象を報じた。ベトナム北部の工業団地で、仕事を辞めてまで中国語を学び直す労働者が急増しているのだ。

ここからは大卒ホワイトカラーの話ではない。工場の製造ラインで働くワーカー層——短大卒、専門学校卒、高卒の人たちの話だ。

バクニン省の職業紹介センターによると、中国系企業の非熟練ワーカーの月給は900万〜1,200万VND。しかし中国語能力と関連スキルを持つワーカーは、現場リーダーや通訳兼務ポジションに上がれるため、1,800万〜2,000万VNDを稼げる。語学一つで給料がほぼ2倍になる。中国系工場ではオーナーも管理職も中国人で、設備や生産ラインも中国から輸入されているため、通訳を介さず直接コミュニケーションできる現場スタッフが極めて重宝されるのだ。

さらに象徴的なのがこの比較だ。これもワーカー層の給与である。

短大卒+中国語HSK4 → 基本給 月1,500万VND(約9万円)
四大卒+中国語なし → 基本給 月1,100万VND(約6.6万円)

年間で約5,000万VNDの差。学歴よりも語学スキルの方が、より具体的な経済的リターンをもたらすことを、この数字が端的に示している。

28歳のオアンさんは、品質管理責任者として月給1,300万〜1,400万VNDを稼いでいたが、中国語の勉強に専念するため2025年9月に退職した。36歳で3人の子供を持つヴイさんも、子供が寝静まった夜9時から翌2時まで中国語を勉強している。「本気で努力して実力を身につければ、チャンスは訪れるはずだ」と彼女は言う。

これは「どの大学を出たか」ではなく「何ができるか」で人生が変わることの、最も生々しい証拠だ。

日系企業の文化的な課題もある。ホフステードの文化次元モデルで見ると、日本は「不確実性回避:92」「男性性:95」。ベトナムは「不確実性回避:30」「男性性:40」。

不確実性回避が高いほど、先がわからない状況を嫌がる。マニュアル大好き。ルールを細かく決めたがる。「想定外」を極端に嫌う。

男性性は、競争、達成、成功、仕事第一で、その反対は協調、生活の質、人間関係、ワークライフバランス。

日本とベトナムでは真っ向から衝突する。日本の職場でベトナム人が「下位の労働力」として扱われやすく、理不尽なルールや上意下達のコミュニケーションで精神的苦痛を受けるケースは、多数報告されている。

これは「能力」の話ではなく、「どの言語を選んだかで、所属できる組織と社会的地位が変わる」という構造になっている。

10. Việt Kiềuと国内ベトナム人の溝

海外在住ベトナム人(Việt Kiều)が帰国して投資や事業を始めると、歓迎される一方で、「外から目線で批判する」「金持ちぶっている」という反発も生まれる。

日常会話でも区別がある。「Vietnamese-Vietnamese」(生粋の国内ベトナム人)とViệt Kiều。帰国した越僑は「French-Vietnamese」「Vietnamese-American」などと呼ばれ、西洋風のライフスタイルや価値観を持つ「違う種類のベトナム人」として見られる。

かつては「外からの金持ちの傲慢な連中」という批判もあったが、ベトナムの経済発展に伴い、その距離は縮まりつつある。ホーチミン証券のクアン・レーは、2005年にLAから帰国した当初は「第一波の帰国者はうぬぼれたカーペットバッガー(金目当ての部外者)と見なされていた」と振り返りつつ、「ベトナムが発展するにつれ、プロフェッショナルな人材が増えてきた」と語っている。

2世・3世はさらに複雑なアイデンティティの問題を抱えている。家庭内でのベトナム的価値観(親への絶対的服従など)と、居住国の西洋的価値観の板挟み。本国に渡航しても、言語や立ち振る舞いの違いから「本当のベトナム人ではない」とみなされる。祖国にも居住国にも完全には属しきれない、ディアスポラ特有の宙吊りのアイデンティティだ。

11. 「留学」と「出稼ぎ」の境界線

前のセクションで触れた中国語ワーカーの話と、この「留学と出稼ぎ」の話は、実は地続きだ。どちらも「大学で何を学んだか」ではなく、「現場で何ができるか」が給与を決めている。

日本の週28時間制限で合法的に稼げる金額は、最大でも月8〜12万円。年間の学費(数十万〜100万円超)と生活費、さらに渡航費の借金返済を同時に賄うのは数学的に不可能だ。

結果として、複数バイトの掛け持ち、他人の在留カードでのオーバーワーク、違法就労が常態化するケースがある。親が家や農地を担保に借金をして留学費を工面し、学生が現地で身を粉にして働いて返済する。「留学」という名前の、事実上の「出稼ぎ」だ。

疲労で授業中に眠り、成績不良で在留更新ができず、不法滞在に転落する——これは個人の怠慢ではなく、制度の構造的欠陥だ。

12. 各国の制度——知っておくべき現実

ベトナムの若者は各国の制度を驚くほど精緻に比較している。

日本: 2025年から多子世帯(3人以上)への大学無償化が拡大されたが、在留資格「留学」の外国人は適用対象外。

カナダ: PGWPの要件が根本的に変更され、一般ビジネスコースからの「永住権裏口ルート」は封鎖された。医療、STEM、教育など119の指定分野のみが対象。

オーストラリア: 485ビザの申請年齢上限が50歳から35歳に引き下げ。キャリア中断後に修士→移住を計画していた層のパスが事実上閉ざされた。

ドイツ: 公立大学の授業料が原則無料。英語プログラムも増加中。学力があるが資金がないエリート層にとって、借金なしで欧州に出る強力な足がかり。

台湾: 「新南向政策」で奨学金が充実。半導体分野の産学連携が直結しており、コスパが最も高い選択肢の一つに浮上。

13. 就職難を知りながら、なぜ動けないのか——ベトナムの大学生の実態

ここまで「どこで学ぶか」で人生が分岐する構造を見てきた。でも、もう一つ根本的な問題がある。在学中に就職に直結する経験を自分から積んでいる学生が、全体の推定10〜20%しかいないのだ。

ベトナム学生連合会が25,000人以上を対象に実施した調査(2023年)によると、学生が最も不安に感じている事項の第2位が「就職」(64.29%)。危機感はある。でもNavigos Searchの調査では、新卒の50%以上が自分のスキルに合った仕事の探し方すら知らない。TopCVの報告では、大学に入学した学生の47%が自分に合った職業がわからないと回答している。

不安はある。でも「何をすればいいかわからない」。 これが行動の最大の障壁だ。

ILOのベトナム事務所が引用した卒業生の声が端的だ。「大学で良い成績を取れば良い仕事に就けると思っていた。しかし、実際にはもっと多くの準備が必要だとわかった」。

授業以外の時間は何に消えているのか

26,000人超の大学生調査(2023年)によると、97.8%がFacebook、85.6%がTikTokを利用し、85.1%が毎日SNSにアクセス。利用目的の最多は「娯楽」で91.4%。18〜29歳のベトナム人の59%が1日3時間以上をSNSに費やし、うち19%は5時間以上。

ハノイ市内の公園でもよく見かける、大学生グループのチームビルディング活動。風船を割ったり、新聞紙の上に何人乗れるかやったり。あれはĐoàn Thanh Niên(ホーチミン共産青年団)や大学CLB(クラブ)の活動で、「訓練点数(điểm rèn luyện)」を稼ぐために参加している場合が多い。

社員旅行でも盛んに行われているが、あれは結構もったいない。欧米のチームビルティングでから学んだものだと思うので活動自体が悪いのではないが、問題は振り返り(リフレクション)の設計がないこと。やって、笑って、写真を撮って、終わり。「あの時なぜそう動いたのか」「チームの中で自分はどんな役割だったか」という問いかけが入れば、同じ風船割りでも全く違う学びになるのに。

経験を学びに変換する仕組みが、社会にまだ整っていない

5層の壁が行動を阻む

Deep Researchで調べていくと、学生が動けない理由は5つの構造的障壁の連鎖だとわかった。

第1層:理論偏重のカリキュラム。 世界銀行が「理論的知識に強く焦点を当て、労働市場が求める能力ベースのスキルにはほとんど注力していない」と指摘。実践教育プログラムはわずか8大学でしか実施されていない。

第2層:企業インターン文化の未成熟。 新卒採用者の94%が再研修を必要とし、企業は「卒業生が準備不足で入社してくること」に慣れてしまっている。これが逆説的に、インターン育成への投資意欲を下げている。

第3層:経済的制約。 時給25,000VND(約150円)のアルバイトで月400万VND程度。生活費を賄うのが精一杯で、無給インターンに行く余裕がない。

第4層:「成績が良ければ就職できる」という親世代の認識。 しかし現実には、大卒者の60%が専攻と無関係な職に就いている。

第5層:面子(thể diện)と年齢ヒエラルキー。 国民の72%が「年長者への敬意はベトナム文化のアイデンティティの根幹」と考えている。学生が間違えることを恐れ、年上のビジネスパーソンにアプローチすること自体が心理的に難しい。

最初のポジションでキャリアの傾斜角が決まる

仮に就職できたとしても、最初にどこに潜り込むかで、その後の人生が構造的に分岐する

大卒の初任給が10M VND前後でも、半年〜1年で職歴がつけば転職で15M VNDにジャンプするケースはよく見る。ベトナムの労働市場は転職がカジュアルで、特にIT、デジタルマーケ、経理、サプライチェーンなどのスキル系は上がりやすい。

上がるポジション(市場価値が蓄積する): 外資系の営業・マーケ・経理・SCM・品質管理。IT企業のエンジニアやPM。語学+専門性が同時に積める通訳兼購買・通訳兼品質のようなポジション。1〜2年で「この人は○○ができる」と値段がつく。

上がらないポジション(市場価値が蓄積しにくい): 一般事務、単純な通訳・翻訳のみ、小規模ローカル企業の営業補助、コールセンター。3年やっても「職務経歴書に書ける武器」が増えない。給与も12〜14M VNDあたりで天井が来る。

企業が最も重視するのは実務経験(TopCVの調査で74%が第1位に挙げた)で、学歴は第3位(約37%)にすぎない。つまり、最初の就職で「スキルが積み上がるポジション」に入れるかどうかが、その後10年のキャリアの傾斜角を決める。

RMIT・FPTでは「もう解決されている」という残酷な事実

注目すべきは、RMIT・FPT・VinUniのような大学では、この問題がほぼ解決されていることだ。FPT大学は3年生でのOJTセメスターを必須化し、1,100社以上のパートナー企業との直結パイプラインを持つ。卒業生の98%が6ヶ月以内に就職する。RMITも最低12週間の必修インターンと専門キャリアセンターを備えている。

問題は、これらの大学にアクセスできるのが経済的に恵まれた少数の学生だけだということ。大多数の公立大学・地方大学の学生には同等の仕組みが提供されていない。ベトナムの若者が「動けない」のは、彼らの意志の問題ではなく、動くための道が整備されていないのだ。

おわりに——「これがやりたい」と言えるかどうか

日経の「国内留学」の記事を読んだとき、僕は「それって意味あるの?」と思った。

でも調べていくうちに、見えてきたのは、ベトナムの若者一人ひとりの背後にある家族の戦略、歴史の重み、そして言語と学歴がもたらす見えないヒエラルキーだった。

ベトナムの大学生の64%が就職に不安を感じている。でもその半数は「何をすればいいかわからない」。経験を積む仕組みが社会になく、面子の文化が挑戦を阻み、年齢ヒエラルキーが大人へのアプローチを難しくしている。

私は学生ではなかったが、若い頃、休みの日などにNPOに参加し、自分でもいろいろとやりたいことがあったので、「これがやりたい!」と話していた。そうするといろいろな人が次々といろいろな人を紹介してくれて、普通は会えないような有名人や経営者に次々と会えた。今思えばかなりの未熟な自分だったが、それでも会っていただいた方々から時には厳しい言葉をかけられながらも、話を真剣に聞いてくれたりサポートしていただいたりした。

ベトナムでは、同じことは起こりにくい。年齢ヒエラルキーがあり、面子の文化があり、「誰の紹介か」が問われる社会だから。でも、入口の形が違うだけで、本質は同じだと思う。「この若者は本気だ」と思わせれば、どの国でも大人は動くと思う。

ベトナムの学生に伝えたいことがあるとすれば、こうだ。

「ゲームを1日2時間減らして、その時間で一つのプロジェクトに関わるか、一人の大人に会いに行け。ただし手ぶらで行くな。事前に調べて、具体的な質問を持っていけ。半年で人生が変わる。」

そして、「最初の会社を給料で選ぶな。何が積み上がるかで選べ」。

月10Mと12Mの差で会社を選んで、スキルが積み上がらないポジションに入るより、少し給料が低くても「3年後の自分の市場価値が上がるかどうか」で選ぶ方がいい。

私はそんな説教を垂れることができるほどの立場でも能力もあるわけではないが、こういうことを考えながらベトナムで子育てをしている。