我が家は、子ども2人の学費と習い事、家賃だけで、毎月30万円が消えていく。
子どもがいない頃は、収入は今より低くても学費の支払いがなく、家賃も今よりも安かったのでそれなりに暮らせていた。だから「ベトナムでは自分はかなり余裕のある部類だろう」と、どこかでタカをくくっていた。
あれから10年。ベトナムで30年くらい生活し、仕事をしてきた大先輩が送別会で7年ほど前に残した言葉。「私の生活レベルは変わらなかった。しかし周りのベトナム人の生活レベルはすごく上がり追い越された」。その言葉が私にも現実となった。
子ども4人分の私立学校の学費を、涼しい顔で払う親たち
私が毎月の学費の支払いにおびえている一方で、子どもたちのクラスメイトのベトナム人の親たちは、子ども3人分、4人分の学費を、涼しい顔で払っている。我が家より広い家に住み、高級車ではないが日本で買う倍の価格はする車に乗り、週末は別荘や国内旅行に出かける。それでいて朝は優雅に運動し、私が帰る頃には子どもと遊んでいる。
一握りの富裕層の話ではない。学費が何百万円もするインターナショナルスクールの話でもない。ごく一般的な私立校で、見渡す限り、クラスメイトの親のほとんどがそうなのだ。
もちろん、私立の学校に通わせられる家庭はベトナム全体では多くない。ただ、私の周りはみんなこの状態だ。
このタイトル画像は私が毎日経験していることだ。私は労働者として毎日会社に決まった時間に出勤し、夜帰ってくる。労働者階級でなさそうなベトナム人の若い人たちが家族や友達との時間を楽しんでいるのを横目に。
財布だけじゃない。「人間」が変わった
娘の学校は小中高一貫だが、高校生の背が高い。アメリカの学校かと錯覚するほど、見上げるように高い。私が来た2017年頃は、ベトナム人は痩せて背が低い印象で、正直、体格で気圧されることはなかった。それが今は、ジムで身体を鍛え、小柄で痩せた人を見るほうが珍しい。かつて事務職の制服のようだった白シャツに黒いズボン・スカートは絶滅し、みな思い思いの洗練された服を着ている。
たった一世代の豊かさと栄養が、人の身体つきまで作り変えた。これがベトナムの10年だ。
本当にヤバいのは、日本のほうじゃないのか
日本ではいまだに「ベトナム人は貧しい」「安い労働力だ」と言われる。現地に住む駐在員ですら、そう信じている人がいる。
だが、現場で数字を弾いている人間として、私は確信している。本当にヤバいのは、日本のほうだ。
私が渡米した頃、日本はまだ世界2位だった
私が10代でアメリカに渡った1990年代半ば、日本はまだ世界第2位の経済大国だった。GDPはアメリカの7割に迫り、「Japan as No.1」の余韻が世界に残っていた。それでも、同じ大学にあれほどいた台湾人や韓国人の優秀な学生に比べ、日本人は驚くほど少なかった。
帰国して気づいたのは、一度外に出た人間と、ずっと日本の中にいる人間とでは、ものの考え方も感じ方も明らかに違うということだった。
30年で、2位から5位へ
あれから30年。日本は2010年に中国に抜かれて2位の座を失い、2023年にドイツ、そしていまやインドにも抜かれ、5位へ滑り落ちようとしている。
それでも多くの日本人は——現地に住む人間ですら——まだ「2位だった頃」の感覚のまま、ベトナム人を貧しく、遅れた、見下す対象として見ている。
ヤバいのは、順位が落ちたこと自体じゃない。自分たちの立ち位置が30年前とは別物になったのに、その現実に気づかず、古い自己イメージのまま世界を眺めていることだ。見下している間は、自分が変わるべきだと気づけない。そのズレこそが、気づかぬうちに、人を追い抜かれる側へと回していく。
タイトル変更したこのnoteで書くこと
このnoteでは、その「ベトナム2.0」のリアルを書く。
ベトナムに来て10年。この5年は郊外に住んでいるから、たまにハノイの中心に出ると浦島太郎の気分になる。その私が日々目撃している「別世界」を、街で見た一次情報と、経営と数字の目で書いていく。
外から眺めている時間は、もう残っていない。
まずは、本当の今のベトナムを、ここで見てほしい。
タイトルをベトナム2.0としましたが、これは私にとっての2.0かもしれない。この国が歴史上いろいろな苦難を乗り越えて日々発展しているので1や2という数字では表せないことは知っている。
しかし、自分が来たばかりの頃と、気がついたら浦島太郎になっていた今のギャップを2.0という数字で表しました。
また、ベトナム10年の節目なので、次の10年はどうなるかという意味でも良いと思いました。



