ベトナム3.0

ベトナムで仕事をしていると、時々こういう場面に出くわす。

英語が得意なベトナム人と、英語が苦手な日本人が同じテーブルに座る。議論は英語の得意なベトナム人のペースで進み、英語の苦手な日本人の側は置いていかれる——ベトナムで働いていれば、誰でも何度も見る。想定の範囲内だ。

でも、私が出くわしたのは、それじゃなかった。日本語が共通言語の会議で、同じことが起きたのだ。

日本語が流暢なベトナム人が、日本人には理解できない専門的な話を、日本語で議論している。ベトナム人同士でも日本語で話している。そして同じテーブルの日本人の側に、その日本語が何を言っているのか追いきれていない人がいる。日本人なのに、だ。そして口を開けば日本人なのにメチャクチャな日本語が出てくる。処理できないことに対して、無理やりコメントしようとするとこうなってしまう。

ベトナム人の日本語に問題があったわけではない。ただ、話題についていけていないだけ。時々日本人が口を開くと、本当に日本語ネイティブかと疑うような意味不明の言葉が出てくる。理解できない話題で、無理やり真っ当なことを言わなければならなく焦ると誰でもこうなってしまう。

私はあまり関係ないけど呼ばれただけだったので、眠い目をこすりながら最初は「ベトナムの人は優秀だなあ」という素朴な感心だった。しかし長時間続いていくと「これは一体なんだ!?」と感じるようになった。

そして、その感心の裏に、うまく言葉にできない居心地の悪さがあった。これは、アメリカの田舎の人が移民に対して感じる「脅威」みたいなものと、根は同じなのだろうか。自分の立っている地面が、静かに動いている感覚。

この記事は、その居心地の悪さを正直にほどいていった記録だ。途中で何度か、自分の見方が間違っていたことに気づかされた。その間違いも含めて、残しておきたい。

まず、自分の見方を疑う

最初に冷静になって気づいたのは、あの会議室で比べられているのは「ベトナム人」と「日本人」ではない、ということだ。

そこにいるベトナム人は、世界的に見ればコスパの悪い言語をわざわざ習得して外資に潜り込んだ人たちで、母集団の中ではかなりの異常値だ。一方の日本人は、ごく普通のサラリーマンだったりする。片方は強烈な選抜を通ってきた人、片方は割り当てられた人。これを「ベトナム人 対 日本人」として一般化するのは、たぶん間違っている。

しかも、自分がその優秀なベトナム人に「どこで」出会っているかも大事だ。外資の工場やオフィスというのは、それ自体が一つのゲートだ。母数が、構造的に視界に入らない設計になっている。

——と、ここまでは自分への戒めだ。けれど、戒めたうえでなお、危機感は薄まらなかった。むしろ問いの形が変わった。問題は「割合」じゃない。どういう人が、どういう仕組みで国の外に出て、何を持って帰ってくるのか。その「流れ(チャンネル)」の話なんだ、と。

そこで、ベトナムという国が国境の外と取り結んできた関係を、三つの段階に分けて考えてみたくなった。

ベトナム1.0 ―― 国を出た世代

最初の流れは、選んで出たのではなく、出ざるを得なかった世代だ。

戦後、ボートに乗って国を離れた人たち。その多くがアメリカやオーストラリアやフランスに難民として渡り、そこに「永住」した。これが効いた。永住したから、二世が生まれ、その二世が現地の職業階層を駆け上がっていった。

数字を見ると、これは気休めではない。アメリカ生まれのベトナム系の若い世代は、6割近くが学士号を持ち、STEM・医療・法律・ビジネスへ進んでいるとされる。アジア系の移民集団の中でも、親世代から子世代への上昇幅が最も大きいのはベトナム系だ、という研究もある。台湾やインドと同じ「定住型ディアスポラ」の形。外で根を張り、二世が花を咲かせる流れだ。

ここだけ見ると、「ベトナム人は世界中で高度な仕事をしている」という印象は、まったく正しい。私が長く抱いていたイメージも、たぶんこの1.0の像だ。

ベトナム2.0 ―― 身体を輸出した世代

けれど、正直であろうとすると、もう一つの流れを見ないわけにはいかない。そして、これがいま一番太い。

日本の技能実習生・特定技能。台湾や韓国の工場、農場、介護の現場。これらは、難民でも専門職移住でもない。「期間限定の契約労働」だ。同じ作業を数年こなして、現金と語学を持って帰る流れ。

私はベトナムに住んでいるからこそ、優秀な現地スタッフが視界の手前を占めていて、この巨大な出稼ぎの流れを過小評価していたのかもしれない。ベトナムは「台湾モデル(外で力をつけた頭脳が国に還流して産業を建てる流れ)」だけの国ではない。「身体を輸出するモデル」も、同時に、しかも大量に走らせている。

この2.0を考えるとき、どうしても引き合いに出したくなる国がある。フィリピンだ。

正直に言うと、私はずっと「フィリピン=メイドや介護、単純労働」というイメージを持っていた。そして数字を見ると、海外フィリピン人労働者(OFW)の統計では、確かに4割前後が単純労働に分類され、女性に至っては7割近くがそこに集中している。私のイメージは、この「OFWという一本のチャンネル」については、捏造ではなかった。

でも、ここで自分の間違いに気づいた。

第一に、それはフィリピン人ディアスポラの「全体」ではなく、「最悪のチャンネル」だ。アメリカに永住したフィリピン系の医師、会計士、エンジニア、そして国家試験を通った看護師——彼らはこの像の外にいる。看護師を「単純労働」と括るのも、そもそも不正確だ。

第二に、もっと痛いことに気づいた。私は無意識に、ベトナムの一番いいチャンネル(難民→永住→二世)を、フィリピンの一番悪いチャンネル(出稼ぎ契約労働)と比べていた。 これはフェアじゃない。同じ土俵で並べたら、ベトナムにも2.0の影は濃くある。

そして、フィリピンの2.0が教えてくれる、一番怖い言葉がある。デスキリング(脱技能化)だ。単純作業を割り当てられた労働者は、帰国時にむしろ技能が落ちている。教育のある人ですら、帰ってきて元の労働市場に再統合できない。国は労働輸出に最適化されすぎて、教育機関までが国内ではなく海外労働市場のニーズに合わせてしまい、結果として自国がSTEMや医療の人材不足に苦しむ。

「技能を持ち帰る」どころか、「技能を削り取られて帰る」。出稼ぎという流れには、そういう構造が埋め込まれている。私が漠然と抱いていた「ベトナム人は技術を持ち帰れるはずだ」という希望は、この一番太い2.0のチャンネルでは、実は成立しにくい。

ここまで来て、危機感の正体が少し見えた。怖いのは「ベトナム人が優秀だから」じゃない。インセンティブの傾斜が、日本とは違う種類の人間を鍛え続けていること。そして、その鍛えられ方が、必ずしも国の力には変換されないかもしれない、ということだ。

ベトナム3.0 ―― 技能が国に溜まる世代

では、希望はどこにあるのか。ここからは、冷や水ではなく、たぶん一番確かな根拠の話をしたい。

技能が国に還るルートは、教科書的には二つだと思われている。「外で技能をつけて持ち帰る(2.0の理想形)」か、「外で永住し、いつか資本と人脈が還流する(1.0の続き)」か。台湾の半導体がシリコンバレー帰りの人材で建ったように、中国のテックが「海亀」と呼ばれる帰国組で伸びたように。これは brain drain(頭脳流出)と brain circulation(頭脳還流)が、同じことのループの「閉じる前」と「閉じた後」なのだ、という話でもある。

でも、ベトナムには、フィリピンが持てなかった第三のチャンネルがある気がしている。

それは「外で技能をつけて持ち帰る」でも「外で永住する」でもない。国内で、外資(FDI)を通じて、その場で技能が積み上がる流れだ。

私が現場で出会った優秀なスタッフたちは、出稼ぎに行ったわけでも、海外から帰ってきたわけでもない。ベトナム国内で、外資のシステムを回しながら、その場でスキルを身につけた人たちだった。海を渡って削られるのではなく、自国の工場で積み上げている。

これは、フィリピンが一番弱かったところの、ちょうど裏返しだ。フィリピンは身体を「外」に送ることに最適化した。ベトナムは——意図したかどうかは別として——人が育つ「工場」を、自国の中に持ってしまった。サプライチェーンの「本体」がそこにあるから、出稼ぎに頼らなくても、技能が国土に溜まっていく。

ただし、3.0には宿題が一つ残っている。

私が現場で見たのは、他人のシステムを、他人の言語で、見事に回す「オペレーター/媒介者」の層だった。これは本物の、必要不可欠な資産だ。でも、橋渡し役は本質的に「中継」であって「本体」ではない。

世界が日本語を学んだのは、80年代の日本が「学ぶに値するもの」を作ったからだ。いま中国語を学ぶ人が増えているのも同じ理由だ。誰の言語でも話せることは、受け手の位置にとどまる。ベトナムが本当に「浮かばれる」には、人々がベトナム語を学びたくなる何かを作る側に回る必要がある。価値を国内で捕まえる「器」を持てるか。素材はもう揃っている。足りないのは、器だけだ。

「器」とは、具体的に何か

では、その器とは何なのか。これが、この記事で一番ふわっとしていた言葉だ。具体化してみる。

一言で言えば、器とは「ベトナムの国土で生み出された価値を、外に漏らさず国内に留めて、複利で回すための装置」のことだ。そして、この装置が足りていない現実は、私たちの目の前にある。サムスンだ。

サムスン一社で、ベトナムの輸出総額の約14%、GDPの約13%を占める(2024年)。ベトナムの輸出額の7割以上は、そもそもFDI(外資)企業からのものだ。これは凄まじい数字に見える。けれど、肝心なのはその裏側だ。ベトナムは巨額の輸出額を稼ぐのに、出荷総額に対して国内に残る付加価値は限られている。たとえば一機種で何十億ドルもの輸出額を生むハイエンドのスマホがあっても、その価値の大半は、ブランド・設計・チップ・OSを持つ韓国に帰る。ベトナムが受け取るのは、組み立てのマージンだけだ。工場はベトナムにあるのに、価値はほぼ素通りしていく。

つまり、あの会議室で私が感心した優秀なスタッフたちが回しているのは、ほとんどの場合、他人の器なのだ。これが「橋であって本体ではない」の、経済的な正体だった。

価値を国内に留める器とは、具体的にはこういうものだ。工場を誰が所有し、利益を誰が取るのかというオーナーシップ。価格を取られる側(コモディティ)ではなく、価格を決める側に回るためのブランドと知財。生み出した果実を国外に逃がさないための資本市場。そして、知財集約型のビジネスが「国内で」建てられるための、知財保護や法の支配といった制度。これらが揃って初めて、優秀な人が生んだ価値が、その人の国に落ちる。

いま、器は作られ始めている

ここからが、この記事を書こうと思った本当の理由だ。

驚いたのは、この「器が足りない」という認識を、いまベトナム政府も企業も、はっきり言語化して動き始めていることだった。3.0は、私の願望じゃなくて、もう現在進行形の現実になりかけている。

まず、政策の背骨が変わった。2024年末から2025年にかけて、ベトナム共産党は立て続けに「四つの柱」と呼ばれる決議を出した。科学技術・イノベーション・デジタル化を国家の最優先突破口に据える決議57号、民間経済を「経済の最も重要な原動力」と初めて明言した決議68号、そして法制度と国際統合の決議。要するに、これまでの「安い労働力と資源に頼る成長モデル」から、「知性と創造性に賭けるモデル」へ、国家として舵を切ると宣言したのだ。注目すべきは、決議68号が「大企業による地場中小企業への技術移転」を国の優遇を受けるための条件に組み込んだこと。技能の国内還流を、政策の文言に書き込んだ、ということだ。

半導体では、それがもっと具体的だ。2024年9月、首相が国家半導体戦略(2030年・2050年ビジョン)を承認した。現在およそ6,000人しかいない半導体エンジニアを、2030年までに5万人へ——10倍にする。組み立て・検査・パッケージング(下流の低マージン領域)から、設計、そして将来的には製造へと、バリューチェーンを上流に登っていく。戦略には、国内付加価値率を10〜15%まで引き上げるという数値目標まで入っている。「組み立てのマージンしか残らない」状態を、国が問題として名指しし、変えにいっている。

そして企業だ。象徴的なのはFPTで、「Chip Make in Vietnam, Made by FPT」を掲げ、ベトナム企業として初めて自社設計のチップ(電源管理IC)を日本市場へ商用輸出した。2026年には、ベトナム企業が初めて所有する半導体の検査・パッケージング工場を立ち上げる。これは「他人の器を回す」から「自分の器を作る」への、明確な一歩だ。ViettelやVingroup、CMCといった地場の大手も、AI・クラウド・半導体に投資を始めている。NVIDIAは2億5,000万ドルを投じてViettel・FPT・Vingroup・VNGと組み、CEOのジェンスン・フアンはベトナムを「第二の故郷」と呼んだ。

さらに面白いのは、ここで1.0と3.0がつながり始めていることだ。FPTは海外在住のベトナム人エンジニアを呼び戻して陣容を組んでいる。FPT会長のチュオン・ザー・ビンの言葉が、この記事の全部を要約している——「世界中のベトナム人を含めれば、我々は半導体産業における一つの勢力だ。最大の課題は、それをつなぎ、自分たちのエコシステムを形にすることだ」。台湾が新竹サイエンスパークという「帰る場所」を用意して海亀を呼んだのと、同じことを、ベトナムはいま始めている。ループを、意図的に閉じにいっている。

ただし、まだ溶接の最初の一打だ

正直でいるために、冷静な側も書いておく。

これらは、まだほとんどが「宣言」と「政策」の段階だ。ベトナムは世界の半導体パッケージングの1%ほどしか担っておらず、2030年に8〜9%という目標は、まだ目標でしかない。FPTが設計しているのは最先端のロジックチップではなく電源管理ICで、TSMCやサムスンが握る本丸とは距離がある。エンジニア5万人という目標は現状の10倍で、達成は容易ではない。学生がより高い給料を求めて海外に出ていく頭脳流出も、まだ止まっていない。

だから、器が「できた」と言うつもりはない。私が言いたいのは、これがベトナム3.0の本質だ、ということだ。1.0は難民を国外に押し出した。2.0は身体を輸出し、他人の工場を国内にホストした。3.0が違うのは、史上はじめて、ベトナム自身が「価値を国内で捕まえる」と意図し、「自国民の技能を呼び戻す」ための制度を、自分の手で作り始めたことだ。溶接はまだ最初の一打にすぎない。でも、これまで図面すらなかった場所に、図面ができた。

会議室の、あの居心地の悪さに戻る

最初の会議室に戻ろう。

流暢な日本語で日本人を圧倒していた、あの優秀なベトナム人たち。これまで、彼らのような人間にできる最善は、他人の器を見事に回すことだった。媒介者として、橋として、外資のシステムを動かすこと。それは本物の価値だけれど、価値そのものは、海の向こうへ素通りしていった。

ベトナム3.0の賭けは、次の世代の彼らが、器を回すだけで終わらないことにある。自分たちの器を、自分たちで設計し、所有する側に回れるかどうか。その溶接が保つのか、途中で割れるのかは、まだ誰にも分からない。

ただ、あの夜に私が感じた居心地の悪さは、もしかしたら脅威ではなかったのかもしれない。地面が静かに動く感覚——あれは、プレートがずれていく音だった。そして今回は、そのずれていく先が、価値が国に残る方向を向いている可能性がある。脱グローバル化と言われながら、人も資本もサプライチェーンも国境をまたぎ続ける多極の世界では、母語のように国境を越えられる人と社会が、複利で有利になっていく。その条件に、ベトナムはかなり噛み合っている。

ベトナムが「浮かばれる」かどうかは、まだ分からない。でも、少なくとも、浮かぶための器を、いま現実に作り始めている。それを、同じ国に住む一人として、私はわりと本気で見届けたいと思っている。


※この記事の「現場」「外資の工場」は特定の企業を指していません。具体的な数字(輸出比率、エンジニア数、付加価値率の目標など)は公開資料に基づく概数なので、公開前に一次資料で裏取りすることをおすすめします。主な出典:ベトナム統計総局/各省、国家半導体戦略(決定1018号, 2024)、決議57号・68号、FPT・NVIDIA各社発表。