さわるベトナム会計 DAY 1 さわるベトナム のトレーニング教材

自分の手取りとTNCN

全5回 / 参照時点 2026年8月 / 先に②で表を動かしてから③を読む

登場する人物・会社・工場・金額は、すべて架空の設例です。実在のものとは関係ありません。

さわれる表 ─ 自分の手取りとTNCN

① 前に読む(数字を動かす前・ケンの独白・場面)

2026年7月末・VSIP Bắc Ninh

赴任して4か月目の月末。工場の経理課長のリン(Linh)が、給与台帳を持って部屋に来た。承認のサインが要るという。

A4で6枚。従業員100人分の数字が並んでいる。列の見出しはベトナム語と、アルファベットの略語だ。TNCN、BHXH、BHYT、BHTN。どれが何なのか、正確には知らない。

台帳を作っているのは総務人事のマイ(Mai)だ。それをリンが確かめて、最後にケンが判を押す。3人が順番に通るようにできている。 どこで何を見ているのかを知らないのは、たぶん自分だけだ。

リンが一言添えた。7月から個人所得税の制度が変わりました、と。

言われて数字を見たが、何がどう変わったのかは分からなかった。先月の台帳と並べたところで、どこを比べればいいのかが分からない。

ケンはひととおり眺めて、サインをした。

正直に言えば、何を確認したのかは自分でもよく分からない。合計が合っているかどうかも、合っているとして何と何が合っていればいいのかも分からない。ただ、先月も同じようにサインをしたし、その前も同じだった。誰も困っていないのだから、たぶん合っているのだろう。

その週の後半

製造課のリーダーが相談に来た。うちのラインのオペレーターが辞めそうだ、給与を上げられないか、という話だった。

「いくら上げれば残ってくれそうですか」

「20%くらいですかね」

ケンは手帳に「20%」と書いた。書きながら、手が止まった。

20%上げると、会社の負担はいくら増えるのか。本人の手取りはいくら増えるのか。どちらも見当がついていない。

生産管理にいたころ、給与は人事の仕事だった。自分は関わらなかったし、関わる必要もなかった。

ここでは、その数字に最後の判を押すのが自分だ。中身が分からないまま押している。

聞けばよかった

リンに聞けば済む話だ、とは思っている。

リンはこの工場の経理課長で、日本語を話す。ベトナムの会計事務所にいたあと、日系のメーカーを何社か渡ってきた人だ。着任した日にも「分からないことがあったら何でも聞いてください」と言われている。

マイも日本語ができる。というより、ケンが毎日いちばん話しているのはマイだ。採用の相談、寮の手配、ビザの更新。会計の話だけが、その中に入っていなかった。

聞かなかったのは、こちらの都合だった。

最初の1か月は、工場を動かすことで手一杯だった。設備の搬入、人の採用、量産の立ち上げ。給与台帳は毎月回ってきたが、中身を確かめる余裕はなかったし、判を押せば話は進んだ。

2か月目に、少し引っかかった。ただ、1か月目に何も聞かなかった人間が、2か月目になって「これは何ですか」と聞くのは、なんとなく格好がつかない。

3か月目には、もう聞けなくなっていた。

分からない期間が長くなるほど、聞くのに勇気が要る。 それだけの話だ。

日本人の先輩に聞こうにも、この工場にはいない。本社に聞けば「現地で確認してください」と返ってくる。

その晩

自分の給与明細を開いてみた。

TNCN の欄に、数字が入っている。

あとで調べたら Thu nhập cá nhân の頭文字だった。thu nhập が所得、cá nhân が個人。つまり「個人所得」で、税のことは thuế TNCN と書くらしい。thuế が税だ。

意味は分かった。それでも、この額が多いのか少ないのか、判断できたことは一度もない。

赴任のとき、扶養を登録すると税金が減ると聞いて、妻と子の2人分の書類を出した。実際にいくら減ったのかは、確かめていない。

生産管理にいたころ、原価を知らないまま安請け合いをしていたことを、あとから知って青くなったことがある。あのときと同じ感触がした。

自分の1人分でこれなのだから、100人分の台帳にサインをする資格が本当にあるのか、と思った。

翌朝、時間をもらった

「給与台帳に毎月サインしているんですが、正直、何を見ればいいのか分かっていません。3か月、分からないまま押してきました

言ってしまうと、思っていたより軽かった。

リンは少し黙ってから、こう言った。

「私の方も、説明していませんでした。聞かれなかったので、分かっているものだと思っていました

そういうことか、と思った。こちらが遠慮している間、向こうも遠慮していた。

「では明日から、毎朝30分だけもらえますか。会計をやりましょう」

「何から始めますか」

「100人分を見る前に、1人分からです。ケンさんご自身の明細で構いません。総支給から手取りまで、電卓ではなくExcelで、途中の数字を全部残す形で

「それで何が分かりますか」

「分かってから聞いてください。先に説明すると、たぶん頭に入りません

だから

このExcelは、その数字を自分で出すためのものです。

100人分ではなく、まず1人分。自分の給与明細だけを使います。

説明は後ろに置いてあります。先に動かしてください。 動かしてから読むと、③がずいぶん読みやすくなります。


② 数字を動かす

右のさわれる表を使います。Excelと同じ作りで、青い文字のセルが書き換えられる欄です。書き換えると、つながっているセルが全部動きます。

セルをクリックしてください。 上の数式バーにそのセルの式が出て、参照元(そのセルが使うセル)が青、参照先(そのセルを使うセル)が茶に色づきます。その数字が何で、どこから来ているのかは、これで追えます。上のタブでシートを切り替えられます。

「演習:自分で埋める」に切り替えると計算セルが空欄になり、数字でも =C6-D6 のような数式でも入れて答え合わせができます。詰まったら「答えを見る」。

先に動かしてください。 下の③は、動かしたあとに読むものです。


③ 後に読む(動かしたあと・ケンとリンの対話)

【場面】 翌朝の30分。VSIP Bắc Ninh の工場事務所。ケンが、Excelを開いたノートパソコンを持ってくる。リンが画面をのぞき込む。

順番の確認

ケン「6つのセルを埋めました。でも、埋めただけという感じがしています」

リン「では、上から順に何をしたか言ってみてください」

ケン「総支給から社保を引いて、本人控除を引いて、扶養者控除を引いて……残った額に税率をかけて、最後に速算控除を引きました」

リン「そのとおりです。ひとつ確認させてください。税率をかけた相手は、総支給でしたか

ケン「……違いますね。いくつも引いたあとの額です」

リン「そこがいちばん大事なところです。引いたあとの、小さくなった額。これを課税所得——Thu nhập tính thuế といいます。thu nhập が所得、tính が計算する、thuế が税。『税を計算するための所得』ですね」

ケン「先に名前を教えてもらった方が早かったのでは」

リン「名前を先に聞いていたら、いま『総支給ではない』と自分で気づけましたか」

控除が増えても、その額がそのまま手取りになるわけではない

ケン「表で扶養の人数を1人増やしてみました。控除は 6,200,000 増えるんですよね。でも手取りは 1,240,000 しか増えませんでした。計算を間違えましたか」

リン「合っています。1,240,000 は、6,200,000 の何%ですか

ケン「……20%です。あ、税率だ」

リン「そうです。控除は税金を減らしているのではありません。課税所得を減らしているんです。税金が減るのは、そこに税率をかけた分だけ」

ケン「じゃあ『控除が6,200,000増えます』と言われて、それだけ手元が増えると思っていたら」

リン「5倍ずれます。この勘違いは、ベトナムに来たばかりの方によくあります。日本でも同じ仕組みなのですが、金額の桁が変わると感覚が働かなくなるようです」

給与を10%上げても、手取りは10%増えない

リン「もうひとつ。総支給を 80,000,000 から 88,000,000 にしてみてください。社会保険(D列)も明細から写す欄なので、こちらも 5,687,000 に直します。総支給は 8,000,000 増えました。手取りはいくら増えましたか」

ケン「6,336,000 でした。率にすると9%くらいです。10%上げたのに」

リン「増えた分にも税率がかかるからです。総支給と手取りは、別の動き方をします

ケン「これ、社員の昇給を決めるときに知っておかないとまずいですね。『10%上げた』と言っても、受け取る側の感覚は10%ではない」

リン「ひとつ足しておきます。いまのは、税金の段に乗っている人の話です。同じ表のマイさんとフンさんは課税所得が0なので、10%上げれば手取りもちょうど10%増えます。社内に、両方の人がいます

リン「そこに気づいたなら、もう台帳にサインをする資格はあると思います」

段階の境目で、税金は跳ねない

ケン「最後の問いですが、正直こわくて確かめました。課税所得が 30,000,000 を1VND超えると税率が10%から20%になりますよね。税金は倍になるんですか」

リン「Excelに入れてみて、どうでしたか」

ケン「これです」

課税所得 税率 税金
30,000,000 10% 2,500,000
30,000,001 20% 2,500,000.2

ケン「0.2VNDしか増えていない。表示のバグかと思いました」

リン「バグではありません。高い税率がかかるのは、超えた部分だけだからです。I列で引いた速算控除は、そのための調整でした」

ケン「『境目を超えると損をする』という話を聞いたことがあるんですが」

リン「少なくともTNCNの累進税率については、そうはなっていません。ご自分で確かめられたのが、いちばんの答えだと思います」

ここまでで手に入ったもの

リン「これはケンさんご自身の給与明細の話ですが、社員の給与を決めるときにも、まったく同じ計算が動いています

【社長が見る数字】

見るもの なぜ見るか
総支給と手取りの差 税金の段に乗っている人は、「10%上げた」と言っても受け取る側の感覚は9%ほど(課税所得が0の人はちょうど10%)
控除1つの実際の価値 扶養1人=控除6,200,000だが、手取りは1,240,000しか増えない(税率ぶんだけ)
段の境目 跳ねない。 「境目を超えると損」は、少なくともTNCNでは起きない

昇給を決めるとき、社長が見ているのは総支給。社員が見ているのは手取り。 この2つは別の動き方をする。

ケン「今回、社会保険は給与明細から数字を写しただけでした」

リン「はい。あそこには算定基礎の上限があります。駐在員の方はたいてい上限に当たるので、総支給の10.5%にはなりません。しかも上限は1つではありません。 次はそこを見ましょう」


④ 試してみたことの答え合わせ

【解説】給与表の「試してみてください」の3つの答えは、上の③に入っています。

問い 答えのある場所
扶養を1人増やすと控除は6,200,000増えるのに、手取りはそれより小さくしか増えないのはなぜか 「控除が増えても、その額がそのまま手取りになるわけではない」
給与を10%上げたとき、手取りは10%増えたか 「給与を10%上げても、手取りは10%増えない」
課税所得を30,000,000のすぐ下とすぐ上にすると何が起きるか 「段階の境目で、税金は跳ねない」

明細と合わなかったら

ご自分の明細でやると、課税所得が合わないことがあります。 原因は2つ考えられます。

① 非課税の手当が入っている場合

昼食手当や制服手当など、一定の範囲で課税されない手当があります。 これらは総支給には入っていますが、課税所得を出す前に差し引かれます

課税所得 = 総支給 − 非課税の手当 − 社会保険 − 本人控除 − 扶養者控除

この教材の設例には非課税手当を入れていないので、その分だけ式が短くなっています。 何がいくら非課税になっているかは、明細の作り方によって違います。総務に聞いてください。

② 医療費・教育費を申告している場合

新しい個人所得税法(109/2025/QH15)に、第11条という条文が入りました。旧法(04/2007/QH12)には慈善・人道の寄付しかなく、医療・教育は新しく入ったものです。

枠があることは法律の条文で確認できました(109/2025/QH15 第11条2項)。ただし条文は「政府が定める水準による」と政令に委ねており、具体的な金額はこの教材では確認が取れていません

伝えられている水準は、医療費が年 23,000,000、教育・訓練費が年 24,000,000、合わせて年 47,000,000 です。ただし私(この教材)は政令 253/2026/NĐ-CP の条文本体を確認できていません。金額も条番号も、経理か税理士に確認してください。

対象は納税者本人と扶養者です。領収書に本人または扶養者の情報が記載されていること、他の財源(会社の補助・保険金など)から支払われていないことが条件です(同 第11条3項)。

枠の大きさには期待しすぎない方がいいかもしれません。 上に書いた水準どおりなら、年 47,000,000 は月にすると4,000,000弱です。 インターナショナルスクールの学費をこの枠で吸収する、という規模のものではありません。 対象になる医療機関・教育機関の範囲も条文では確認できていません。 使えるかどうかは、経理か税理士に確認してください。

施行日と、適用される期間

第1章の冒頭でリンが「7月から制度が変わりました」と言っています。現場ではそう言います。

ただ、正確にはもう少し広い話です。

この法律(109/2025/QH15)の施行日は2026年7月1日ですが、給与にかかる部分は2026年の課税期間全体に適用されます。 年間の確定申告では、1月分からこの税率表で計算します。

7月に変わったのは根拠になる法律の方で、税率そのものは年の初めから効いている、と考えてください。


⑤ 力だめし(9問)

この回で確かめたことを、数字と条文の両方から問います。表を一度動かしてから解いてください。間違えた問題は「弱点」として記録され、あとから「弱点だけ解く」で戻れます。


⑥ この回の用語

略語/越語 正式・各語の意味 日本語
TNCN Thu nhập cá nhân(thu nhập=所得/cá nhân=個人) 個人所得(thuế TNCN=個人所得税)
BHXH Bảo hiểm xã hội(bảo hiểm=保険/xã hội=社会) 社会保険
BHYT Bảo hiểm y tế(bảo hiểm=保険/y tế=医療) 健康保険
BHTN Bảo hiểm thất nghiệp(bảo hiểm=保険/thất nghiệp=失業) 失業保険
NPT Người phụ thuộc(người=人/phụ thuộc=扶養) 扶養者
MST Mã số thuế(mã số=番号/thuế=税) 税コード(納税者番号)
Thu nhập tính thuế thu nhập=所得/tính=計算する/thuế=税 課税所得
Giảm trừ giảm=減らす/trừ=引く 控除
Giảm trừ gia cảnh gia cảnh=家族の状況 家族状況控除(本人控除+扶養者控除)
Biểu thuế lũy tiến biểu=表/lũy tiến=累進 累進税率表
Tiền lương, tiền công tiền=金/lương=給与/công=労賃 給与・賃金(法令の言い方)

参照時点と主要根拠法令

法令はこの時点のものです。実際の判断にあたっては、最新の条文と、必要に応じて専門家の確認をお願いします。

法令はこの回の末尾に挙げた時点のものです。実際の判断にあたっては、最新の条文と、必要に応じて専門家の確認をお願いします。